2012年1月23日 星期一

「ラッキードッグ1」バクシー誕生日ショートストーリーR2

「ラッキードッグ1」
バクシー誕生日ショートストーリーR2
『Happycracker salute』

□11:15 pm December 21

深い霧が立ち込めていた。
重く、冷たく、粘着く霧。真冬の海が生み出す濃霧。夜の闇よりも暗い、冬の氷霧。
アメリカ東海岸の都市、デイバンは深い氷霧にすっぽり飲み込まれていた。
大西洋の低気圧が海面をうねらせているデイバン港は、夜の闇と瘴気じみた霧に包まれ数歩先さえも見えなくなるような有様だった。
寒い――どんなに分厚い防寒具を着ていても、湿気となって身体に染みこんでくる霧。
この霧で入港する船の航路や順序は混乱し、沖合や河口の泊地では、衝突や座礁を避けるために停船した船たちが警告灯をまたたかせ、闇の中に霧笛の音を何度も、何度も響かせていた。
低く、時には高く、湿気に満ちた闇の中で響く、いくつもの霧笛。重なり合うその音は、太古に滅びた海竜の鳴き声だけが甦ったようで――

その氷霧のただ中、
「ああッ! やくざ者がこんなところにか弱いアタクシをおいつめて、大勢で!? レイプね!? レイプね、レイプするつもりなのネェン!? レイプレイプルレエェェェェェェェェィプ!」
――これも、古代の怪鳥が叫ぶような、不気味にかん高い罵声が霧の中で弾けた。
「ハハーッハァ! いいねえいいねぇ、勃起するねえ。おめえらにしちゃ上出来だァ。ああ、クソッ寒い、死ね!!」
叫び、吼えるうな……男の哄笑、嘲罵、そして挑発。
それに、別の男たちの罵声が答えた。
「……ケッ、きちがいが」
「さっさとブッ殺しちまおうぜ、このクソをよ」
その哄笑をまき散らしている『それ』を、いくつもの懐中電灯、ランプ、そして――敵意と憎悪に満ちた目が霧の中で照らし、突き刺していた。
『それ』は、デイバン港の埠頭に停泊した一隻の貨物船の上で……何も無い甲板の上に、いくつもの銃口とライト、そしてギャングたちに包囲されていた。
「ああクソ、タマまで寒い! ハハ、ハハァーッ!!」
『それ』は、ひとしきり笑うと――
「……ハハッ、ッ……ふう、ヴァージンラヴシット。ああ、寒すぎて腹いてえ。さあて――おう、おうおう。シカゴのどカッペが汚えカサブタづら並べたもんだなァ」
――ぬうっと、一歩前に出る。
電信柱が動いたような、ひどく背の高い『それ』は、獣じみた筋肉質の長躯に毛皮の襟がついた革のロングコートをまとった姿を、ゆらり動かした。
「……っ……」
「う、うごくな、このきちがいが!」
その背の高い男の、たった数歩の動きで――彼を包囲していたはずのギャングたちの輪が、ざわっと揺れた。トレンチコートや革ジャンパー姿のギャングたちは、電灯とランプの光芒で霧を裂きながら、怪物じみた風貌の『敵』を包囲する。
「フン……、ハ、ハハッ、やっと追い詰めたぜ、墓掘り野郎が!」
「でけえ図体のくせしやがってちょこまかと。もう逃げられねえぞ」
墓掘り――Grave Diggerと呼ばれた『その男』は……。
「ハァ? おめら、頭ダイジョウブけ? この俺を追い詰めた、だ? なに寝ぼけてんだ。夢精は寝てしろ」
その男。ロックウエル市のギャング、GD団の幹部であるバクシー・クリステンセンは爬虫類のように長い舌をべろんと出して嘲罵を撒き散らし、ターバンのようにボロ布をまいた自分の頭をコツコツノックする。
「バァーカ! てめえらはな、おびき寄せられたんだよ。ここに。この俺になァ!」
「な……! こきゃがれ、このキチガイが!!」
バクシーを追い詰めていたギャングの一人が、マシンガンの銃口を向ける。それに、ギャングたちが持つ懐中電灯とカーバイドランプの閃光が重なった。
「手間かけさせやがって、このキチガイめ! アルベルト兄貴のカタキめ!!」
「おい、さっさとこんな丸太野郎ブッ殺して、シカゴに帰ろうぜ」
「ああ、クリスマスにはシカゴで――」
シカゴから、お尋ね者のバクシーを追ってきたギャング団『バラクーダ』のやくざたちは、寒さにガチガチ震えるアゴで、煙草の煙のような白い息を吐き散らしながらじりじりと、ようやく追い詰めた男を――ちょうど1年前、彼らの兄貴分をこのシケた町で殺した相手を、裏切り者のバクシーを追い詰める。
「……ミスタ・ゴアの墓に、このクソの首を供えてやれるぜ!」
「殺せ、ころせ! 兄貴のカタキだ、やっちまえ!!」
カーバイドランプの目を刺す閃光が、ビームのようにバクシーの顔を照らす。
うざったそうに目をしかめたバクシーが、ちら、と背後に目をやった。
彼の、バクシーの背後には、隠れる場所もないがらんとした船首が、そして霧の向こうで凶暴な荒波を蹴立てている凍てついた海面があるだけだった。
ざりっと、凍りついて滑る甲板を、バクシーの靴が踏む。
「サァて。じゃあそろそろおっぱじめるか。ン、どのピーチボゥイが、最初にこの俺様と早撃ちして遊んでくるワケ? ああ、別に――」
バクシーは、腕を振ってコートの前をはだける。
その下には、この極寒の中でもシャツ一枚の屈強な胸板と、そして毛のないマフのような布を、東洋の腹巻をつけた腹が。そしてぎょっとするほど大きな散弾銃を二丁、ぶち込んだホルスターが、あった。
「――ボウヤたち、みんな一緒でもいいぜえ。こっちはよ」
その挑発に、カーバイドランプを持っていた男がその光源を海に投げ捨て、拳銃を引き抜いた。
「クッ、くそがああ! なめやがってええ!!」
「ぶっころせ!! 撃て、撃てよ! ミック、ぶっころせ!!」
「ヘイヘイ、早くしてくれよゥ。こっちゃ、ツレを待たせてるんだぜぇ?」
ガチャリ、撃鉄の起きた音に――バクシーの舌が、べろり舌なめずりし、鉤爪じみた指がピクリ、動く。
だが――
「……な。な?」
バクシーの目が、何かを見、フッと細くなり……そして、カッと見開かれた。
「な。なんじゃ、ありゃ?」
見開かれたバクシーの目は、自分に向けられた銃口と男たちの殺意ではなく――そのギャングたちの背後に、氷霧が立ち込めた闇の空に向けられていた。
「ン!? なんだ、このキチガイ!?」
「お……おいおい、おまえら、うしろ、うしろ!!」
「な……??」
バクシーが、散弾銃のグリップに伸びかけていた手を霧の奥に向けていた。
「うひゃあ! バケモノだ!! 古代の怪獣が、出たァ!!」
素っ頓狂なバクシーの叫びに、ギャングたちはギクッとし、そして……ベッと唾を吐く。
「バカが!! そんな手に乗るかよ!!」
「なにが怪獣だ、このキチガイが。今ごろビビッても……」
ギャングたちは、この危険な男のブラフに引っかかるまいと、自分たちの背後を無視して銃を、ライトをバクシーに向けた。引き金にかけられた男たちの指が、ゆっくり力を込めてゆく。
だがバクシーは、
「いや、マジ! まじ怪獣だって!! おまえら、うしろ!!」
目の前の銃口など、そよ風か何かのように気にせず、バクシーはギャングたちの背後を何度を指でさし、叫んでいた。
その狂行に、もうひとつのカーバイドランプを持っていたギャングが、まだ少年の顔立ちの男が――絶えきれず、ちらっと背後に目をやった。
「……?? ……ひっ!!」
その男の手から、ランプが落ちてけたたましい音を立てた。
「な……! 何やってる、このバカ!?」
「ひ、ひあああああ!! で、でたあああ!!」
背後に目をやった男が、子供のような悲鳴を上げた。その悲鳴に、ギャングたちはぎょっとして、振り返る。その男たちの目に……。
「な、な!? なんだあああ!?」
「ば、バケ……バケモノ!?」
闇よりも深い黒の、凍りついた霧の中に――彼らの背後、頭上に、霧と闇を貫いて爛々と輝く二つの目が、巨大な二つの閃光が迫ってきていた。

Buaaaaaa!! ブアアアアアア……!!!!

その二つの巨大な目が、闇をつんざくような轟音を、鳴き声を上げた。
ギャングたちは、悲鳴を上げて後ずさり――完全に、パニックに陥る。
ブアアアアアア!!と、再び轟音が闇の中に鳴り響いた。
それは――霧笛の音だった。
「……ふ、船……!?」
「ヒッ、ぶつか……」
バクシーと、彼を追い詰めたギャングたち。彼らを乗せて港に停泊していた貨物船――その背後から、信じられないほど巨大な船影がゆっくりと迫り、その船首の警告灯と、霧笛で男たちを震え上がらせ、
「う、うわあああ!!」

ズン!!と――最初は重く、低い、そして……瞬時に、凄まじい衝撃が貨物船と、その甲板上にいた男たちを襲って吹き飛ばした。
「うわあああ!! な、な……!!」
「ひいいい!!」
突如出現したその巨大な船影は、貨物船と埠頭の合間に船種を突き刺し――破城槌のように、埠頭のコンクリと貨物船を揺らし、砕きながら……停まらずに、突き進む。
「クソァ!! なんだってんだあァ!?」
貨物船は大きく傾き、その巨大な船影の下敷きにされそうなほど傾ぎ、めりめりと船体が砕ける音を立てていた。
「ギャアアア!!」
「うわ、うわああ!?」
「ひいああああ!!」
ほとんど垂直に傾いだ甲板を、ギャングたちの姿とその悲鳴が転げ落ちてゆく。凍った甲板にしがみつく男たちの手指は、むなしく滑り……。
「……!? チイッ!!」
闇の奈落に飲み込まれる瞬間、バクシーの手は腰のホルスターから肉切りナイフを抜いて――それを甲板の隙間に突き刺していた。
「な……クソが!! なんじゃあこのダボ船はあああ!?」
断崖のようになった甲板に、かろうじて突き刺さったナイフは――折れるギリギリのところでバクシーの身体を支え、闇の中で振り子のように揺らしていた。

GaGaggg……!! Z……!!

何の前触れもなく、埠頭に突っ込んできたこの巨大な船は――バクシーたちを乗せた貨物船だけではなく、他に停泊していた船をも押し倒し、砕いて――停まらない。
転覆する寸前で、その船影の左舷に貨物船は舷側をこすられ……。
鋼鉄の船体がぶつかり合う隙間に落とされたギャングたちが背筋の凍るような悲鳴をあげて……そしてすぐに、轟音の中に消える。
「クソァ、あのカッペどものライトのせいか……!?」
甲板にへばりつくバクシーの目に、ビルを横倒しにしたような巨大な船影がゆっくり滑ってゆくのが、そして――
「あ……!! し、しまった!!!!」
巨大な船は、夜空にそびえるガントリークレーンの塔が、倉庫が並ぶ埠頭の奥にそのまま進み――そして……。

凄まじい衝撃がデイバン港を震わせ、蹴立てられた波濤が津波になって、停泊していた船と波止場の施設に襲いかかった。

「……クソ!! クソァ!! こンの、くそったれがあああ!!」
危うく沈没を免れた貨物船は、衝突の津波で別の埠頭にたたきつけられ座礁していた。
そこから飛び降りたバクシーは、弾丸のように疾走し、第一埠頭に乗り上げたあのいまいましい巨大船のほうに、血走った目を見開き、走った。
「!! ファアアアッック!!」
埠頭の奥、港の奥に船首を突き刺すように座礁してしまっている巨大な船――怪物じみたその真っ黒な影の傍ら、積み上げられていたコンテナは鋼鉄の崖崩れのような有様になってしまっていた。
「クソ、クソ……!!」
錆だらけのコンテナによじ登ったバクシーは、その隙間……コンテナの崩壊に飲み込まれた倉庫の残骸に、カッと目を見開き――吼えた。
「ジーザスエイナスファアアアアアアッッック!! なんてこった……!!」
崩れたコンテナは、バクシーの怪力でもびくともしなかった。破れたコンテナの腹からは、血の匂いにも似た錆びた鉄、そしてオイルの臭いがしみ出していた。
「クソ、くそ……!! くそ………………。」

ニューヨーク船籍のタンカー、2万2千トンの大型油槽船『コーラル・ベイ』は、12月21日の深夜、デイバン港で入港事故を起こし、第一埠頭に座礁した――――

□11:15 pm December 21

□6:30 pm December 22

「…………いったい、どうしてこうなった」
煙草の吸い過ぎで不味くなった俺の口から、何度目かの深い溜息がもれた。
「よりによって、クリスマス前を狙ってこんな面倒が起こるとはね……」
「現状は、報告したとおりだ。……ジャン、こいつはやっかいだぞ」
俺の二人の部下――といっても、俺より年上で、俺よりずっとデキル男である二人の幹部、ベルナルドとルキーノが、やはり煙草で荒れた喉で疲れた声を出していた。
「クソ……。面倒事のバーゲンセールだな。ったく……どこのマヌケの船だよ、クソ」
「そちらの書類に、事故を起こしたタンカーの情報をまとめてある。うるわしき大都会、ニューヨークの油槽船だ。悪天候で、デイバン港に避難しようとして――ご覧の有様さ」
「……まったく。あんな霧の出た夜は入港も出航も厳禁のはずだ。あのタンカーの航海士どもは気の早いパーティでもしてたに違いないぞ、ファンクーロが」
「いちおう、事故起こした連中は言い訳してるんだって?」
「ああ。なんでも、第一埠頭でランプかなんか照らしていた連中がいて――それを、本来の停泊先だった三番埠頭の誘導灯と誤認した、んだそうだ」
「もちろん、港で夜間に無許可で燈火を灯すことは禁止されてる。……タンカーの連中の言い分はともかく、今、そっちの線も調べさせてるよ」
「……つまり、仕組まれた事故、だったと?」
「それはわからないよ、ジャン。まだ、ね――」
「一番埠頭がこのまま使えないと……うちは、CR:5も、デイバンも大損害だからな」
「我々の損害を喜ぶ連中は――いまさらリストアップの必要はないな」
「……どうしてこうなった……」
俺は、ベルナルド、ルキーノと、ちょうど120度づつの角度で取り囲んだ円卓に肘をついて、頭を抱え……愚痴とため息をこぼす。

俺――このデイバン市を影から支配する悪辣なマフィア、CR:5の二代目ボスであるこの俺、ラッキードッグ・ジャンカルロは、クリスマスを目前に控えたこのデイバン市で、とんでもない厄介ごとのケーキを目の前に突きつけられていた。

「さて、新しい厄介な情報の追加だ――」
ベルナルドが、背後の部下からそうっと手渡された書類を叩き、俺にウィンクする。
「座礁事故を起こしたタンカー、『コーラル・ベイ』は2万2千トン。ランカークラスの巨大な油槽船だ。船主はNYのオイルメジャー系列、ホワイトスター社。船のタンクにはNYで下ろす予定だった原油がたっぷり詰まってる」
「……漏れたりとかは?」
「そのへんはよく出来たお子さんのようだが――いちおう、調査は続けている。もしオイルが漏れたら一大事だからな」
ルキーノが忌々しそうに言って、新しい煙草に火をつけた。その彼の眼と手が、俺をちらと見――口がニガニガしている俺は、小さく笑ってその好意を断る。
「今回の事故はデイバン港が開かれて300年、かつてなかったほどの規模だ。あんな大型船が座礁するなんて、誰も想定していなかったからな……」
「今のところの被害は?」
俺の疲れた質問に、ベルナルドは写真が何枚もクリップされた書類を見――そのうちの数枚を俺に手渡しながら、答える。
「第一埠頭が使用不能。あと、座礁の時に起きた衝突と津波で、停泊してた船が何隻か破損している。沈んだ船が無いのはまだラッキーだったな」
「まったくだ。埠頭の入り口で沈船なんかが出たら、それこそデイバン港は出入りができなくなって窒息死だからな」
「そうか、じゃあ……使えなくなったのは第一埠頭だけ?」
「現状では、ね。だが、あのボンクラ船が第一埠頭を完全に塞いでいてね。……まずい」
ベルナルドが、本当に不味いものでも食ったかのような声で言い、
「こっちの書類が、港湾事務局に出されている陳情と、苦情の一部だ。第一埠頭が使えないせいで、他の埠頭と――別箇所の港での荷揚げ作業に混乱が発生している」
「なるほどなー。……あれ、メインのデイバン港は、6番埠頭くらいまでなかったっけ」
俺の質問に、今度はルキーノが煙草をねじ消しながら――ため息混じりで、答える。
「それがな――荷揚げに使う、20トンクラスの大型ガントリークレーンがあるのは……。今回塞がれた第一埠頭だけなんだ」
「ファック」
「しかも、塞がれてる埠頭には荷揚げ場と、5トンクラスクレーンが4基あって、それが使えなくなってるのが地味に痛いんだ」
円卓の上に、大判に引き伸ばされた白黒の写真が滑って出された。
「ん? どっちから見るん、これ…………うお」
最初、何が映ってるのか解らなかった。
それぐらいの、巨大な存在。巨大な質量。想像のはるか上のサイズの巨大な船、だった。
「でけー、2万トンタンカー、でけエエエ。……こんなんが港に乗り上げたのか」
写真には、港で見慣れていたいつもの貨物船やタグボートが、小魚か羽虫のように見えてしまうほどの巨大な、のっぺりとした船影のタンカーが埠頭にその土手っ腹をめり込ませていた。
「……ン、まてよこの埠頭って……潮が引いた時に海面見下ろすと、ちんこがキューってなるくらいの高さ、あったよな確か……どんだけデカイんだ、このバケモノ」
「全長で240メートル、最大船幅は30メートル。本部のビルがいくつ入るかな」
「とんでもないおデブちゃんだな。スエズ運河通れないだろそれ、パナマも無理か?」
俺、そしてベルナルドとルキーノが、白黒のシルエットに目をしかめる。
「もっと船首がぐちゃぐちゃになってるかと思ったが……そうでもないなあ」
「船体が破損して、原油が漏れなかったのは不幸中の幸いだったね」
「しかし……この泥船め、狙ったようにガントリークレーンを塞いでいやがるな……。この崩れたコンテナ、こいつは厄介だ、ガントリーが使えないと動かせないぞ」
ルキーノが忌々しそうに写真を叩いたとき、緊張した様子の護衛たちが飲み物のトレイを持って現れ、即座に姿を消す。煙草とコーヒーに傷んでいた俺たちの喉は、程良く冷えた炭酸水とコーラで洗い流され――陰鬱な会議は再開される。
「この崩れたコンテナの中身は? 工事用のクレーン車とかじゃ動かせないかねえ?」
「残念ながら。あのコンテナは極東に輸出するくず鉄なんだ。並のクレーン車じゃアームが折れるか、車体がひっくり返るだけだね」
「ナンテコッタイ。……しかし、くず鉄ねえ。ジャポーネじゃ鉄が取れないのけ?」
「効率の問題さ。アジアでも鉄鉱石は掘れるが……そいつを、銑鉄から鋼鉄までするのはけっこう面倒でね――ここ、ステイツからくず鉄買ったほうが安上がりで、上質の鋼が手に入るのさ」
「もっとも、そのうち議会はジャポーネにくず鉄も、石油も売らなくなるだろうがな。あの国は今、猛烈な勢いで軍事力をつけてきてるからな」
「……戦争、か。やだねえ……。まあ、こっちも戦争だがな、こりゃ」
俺は、巨大なタンカーの写真をつまんで見、片方の手でコーラの瓶を傾ける。
「ん? ……なあ、そのくず鉄のコンテナ、この下……」
うん? と、ルキーノとベルナルドが同時に、円卓の上に身を乗り出した。
「コンテナが崩れてるこの下、倉庫が何棟か、ぺちゃんこになってね?」
「ああ。それだったら――」
ルキーノが、疲れた目を細くしながら、別の書類を見て答える。
「これも不幸中の幸いか。そこの倉庫は、1週間ほど前からカラッポさ。――そう、先月の末、感謝祭のあたりから、そこに不法移民の連中を隠してただろ」
「……ああ! そうそう、それ! 大丈夫だったのか?」
「ああ。さすがに、吹きっ晒しの港じゃキツイだろって、ジャン、お前が言ったからな。先週のうちに、全員、下町の方に移動させておいたんだ。……助かったよ」
「エクセレンテ。サンキュな、ルキーノ」
「礼を言うのはこちらの方だよ、ジャン」
ベルナルドが、飲み慣れないコーラで小さなおくびをして、言う。
「もし――あの倉庫に不法移民を置き去りにしておいて……この事故に巻き込まれてたらとんでもないことになってた。救助とかの前に――移民局と捜査局の同時攻撃をくらって、俺たちは今ごろ取り調べのまっ最中だったさ。さすがだね、ラッキードッグ」
「ハハハ、本当にラッキーならあの船が埠頭でバカンスしてねえさ。……さあて」
俺は、何度か追加された書類を見、それを円卓に並べる。
「重要度の高い問題から、こっち側に並べていってくれ、ベルナルド」
「イエス、マイロード。……個人的には、この書類を一番右に置きたいがね」
「なんだそれは、ベルナルド」
「ルキーノ、お前も少し、あとで胃痛と抜け毛に付き合ってもらうぞ」
ベルナルドは、黄色い複写紙の書類を脇に置き――タイプだったり、急いで手書きされたりした書類を俺の前に並べてゆく。
「――ジャン、順番に行こう。まず、最大の問題は、あの2万トンタンカーが一番埠頭をふさいでしまっていること。そのせいで、デイバン最大の荷揚げガントリークレーン群が使用不能になってる。おかげで、ただでさえ年末でごった返していたデイバン港の荷揚げ、荷降ろしの計画はバベルの民のごときありさまだ」
「他の埠頭や、たとえばロックフォートみたいな港への振り分けは?」
「それは当然、やっているさ。だが……」
書類を探すベルナルドより先に、周辺の小さな港を仕切っているルキーノが答えた。
「もちろん、進めてるさ。だが、どの船も船主も、自分の優先順位が先のはずだと喧しくってなあ……。ほっとくと、俺のコンプレートのボタンが吹っ飛びそうになるくらいのワイロを押し付けようとしてきやがる。受け取れない袖の下ほどムカツくものはないぜ」
「オツカレちゃん。まあ、年の瀬でみなさん殺気立ってるだろうなあ」
「ガントリークレーン増設の話に乗っておくべきだったな。これに関してはおれの責任だ。……この不況で、港湾労働組合との交渉が――ひと足先に暗礁に乗り上げててね……」
「まあまあ。杖持ってたってコケるときゃコケるさ。……そうなると……重要な貨物から先に、他の埠頭や港に分散させて、荷揚げさせるしかねえわな」
「ああ。そうしているさ。……だが、荷揚げしたら、それをそのまま鉄路の貨車に積み込まないと動かせない貨物もけっこうあってね。すまない、それの手配に手間取ってる」
「鉄道か。……やっぱ、トラックじゃかわりにならんよなあ」
「うちにある最大のトラックは、最大で10トン。鉄道の貨車は100トン以上積んでも屁でもない。鉄道とトラックの輸送力は――それこそケタが違う」
「なんか、さっきから頭痛くなってくるような数字がポンポンと出てくるなあ」
「これ以上、我らがカポの頭を痛くするわけには行かないからね。今、俺の部下が総出で、港湾の組合と話をつけて、荷揚げの順番の手配を進めているよ」
「了解、俺は……事態を確認する以上のことは出来ねえ。頼むぜ」
「お任せあれ。とりあえず、海運会社に訴えられたり、港を使ってた会社に不渡りっていうクリスマスプレゼントをつかませないように全力をつくすよ」
「港湾労働組合の運動家を、先月のうちに沈めといてよかったぜ」
「あー、あったね、そんなこと。そんで……あの悪い子ちゃんのタンカーは、どうする?」
「それなんだが……」
ベルナルドとルキーノが、同時に俺を見、そして……同時に、二人は顔を合わせ、ため息をついた。
「すまない、ジャン。明日、いや、今夜からしばらく俺たちはここを留守にする」
「え? なんか出張け?」
ベルナルドは、眼鏡を外し――眉間を指で抑えながら言った。
「あのタンカー、『コーラル・ベイ』はNYの船でね。事故の責任は、デイバン港の安全管理に問題があったからだと因縁をつけてきているんだ」
「ああ、例の港でライトを付けてた奴らが、ってやつか」
「ああ。もっとも……霧の港に無理やり入港して、港湾法違反したのは向こうだがな」
「ハァ? 俺たちにインネンか、てことは向こうもカタギじゃねえのかしら?」
「ご名答。船主のホワイトスター社の大株主に、上院議員サマがいらっしゃる」
「ワーオ、最強ヤクザのお出ましかよ。そりゃやっかいだな」
「あのタンカーのオイルが、来月の15日までにボストンに到着しなかったらデイバン市に損害賠償をすると息巻いてる――というわけで、俺はこれからNYさ」
「……すまねえな、ベルナルド。クリスマス前のこのクソ忙しい時に」
「向こうの面倒が片付いたらすぐに戻るさ、ジャン。……港湾関連や海難事故は、昔から専用の法律と裁判所で取り扱われるからね、さすがに部下任せには出来ないんだ。……ソッチ系に強い部下をスカウトしておかないとな」
「NYによさげなのがいたら、そのままさらってきてくれよ。……ん? あれ、さっき、さ。『俺たち』って……?」
カク、と首をかしげた俺に、今度はルキーノが大きな肩をすくめて、言った。
「あの泥船の、法律関係のことはベルナルドにおまかせだが――あいつを、このまま第一埠頭の波除にしておくわけにはいかんからな。どうにかして、動かさないとまずい」
「……今朝、タグで引っ張るのは失敗したんだったか」
「ああ。ビクともしなかった。あいつを動かすには、同じくらいの大型船で引っ張るか、専用の強力なタグボートで推しまくるしか、無いんだ。そして――我らがデイバンには、その大型タグボートはない。あるのは……」
「NYか……」
「そういうことだ。俺が向かうのはボストンだがな。あそこにある、軍の造船所から専用の大型タグを借りて、デイバンまで引っ張ってくるんだ」
「軍が貸してくれるのけ?」
「まかせろ。そのために俺がこのツラを出してくるんだ」
ルキーノは実にいい顔で笑うと、大きな親指で、自分の頬の傷をぐいっと撫でた。
「……よっしゃ、わかった」
俺はテーブルに両手を置き、
「俺はここに残って、留守番だ。港の事件、あと街でなんかあったら、すぐにあんたらに連絡できるようにしておく――連絡係の部下は、いつもの?」
うん、ああ、とベルナルドとルキーノが頷く。
「俺もルキーノも、クリスマスまでには戻るさ。さすがに、礼拝に穴は開けられん」
「オッケー。ということは……。マジか、あと三日間、本部には俺しかいない予感!」
「そうなるな……」
眼鏡を戻したベルナルドが書類を片付けながら、
「イヴァンは、あのタンカーが座礁してすぐにワシントンDCに飛んでたからな。向こうの鉄道会社とハナシつけて、貨車をこっちに回す手はずを整えてる」
「イヴァンはそういう機転はきくからな、助かるねえ」
「ジュリオは先月から南米だったからな――あいつもクリスマスには戻るらしいが」
「そうそう。先週、パナマから電話があったぜ。この事故のこと伝えておいたほうが……って、今ごろジュリオは船の上か」
「最近、GDの攻撃もおとなしくなってるからな。ジュリオも、自分の仕事がある――」
「そう、だな……。そういや、最近――あのGDのキチガイ野郎を見かけねえな」
「どこかでのたれ死んでくれてるといいんだがな」
「そんなやわなタマかねえ、あいつが」
「違いない」
俺たちは同意しながら、そろって円卓を立つ。
「それじゃ……ジャン、留守を頼むよ。定時連絡は6時間毎に入れる」
「おう。こっちもなんかあったら連絡……」
そのときになって、俺は――ベルナルドが胸のポケットに入れたままの、黄色い複写紙の書類に気がつき、それを指さす。
「そういや、おじさま方の前髪をむしるその書類は、なに?」
「ああ、これかい」
ベルナルドが、細めた目でルキーノを見……ルキーノは、少しむっとした顔をした。
「俺とルキーノの会社で、折半で仕入れた最新型電線の書類さ。そいつが例の事故のおかげで、デイバン港の貨物船の上で日干しになってるんだ」
「ああ、あれか……。クソ、あいつを年末までに電気会社に納入できないとまずいぞ」
「もし駄目だったら、賠償金も折半だぞ、ルキーノ」
「くそ。カーヴォロ、お前のいう新時代の商売っていうのにはロクなのがないな」
「……中年男たちの前髪におくやみを。アーメン」
「うるせえ」
俺たちは会議室のテーブルを立って、エレベーターホールへと向かった。
「ラッキードッグ1」バクシー誕生日ショートストーリーR2
『Happycracker salute』
2010.12.25~2011.01.07

□11:15 pm December 21
□ 6:30 pm December 22

□7:45 pm December 22

「……クリスマス、か――」
俺は、ピカピカに磨かれた執務室のデスクに両膝をつき、明るい天井を見上げる。
視界の隅で、ベルナルドとルキーノが残していった腹心の部下が、彼ら幹部との中継役でもあるスーツの男たちが、タイプを超スピードで打ったり、書類を持って行き来したりと――なんだか、車輪を回す飼いネズミを連想させる忙しさで働いていた。
「すまねえ、俺は今夜、何時から出ればいいんだったかな?」
俺の質問に――タイプを打っていた若い兵隊が、しゃきっと立ち上がって答える。
「はい。予定では21時に、デイバン・ホテル。市議会の方との会合です」
「ア、ソウ。年末で道混んでっから、そろそろ出たほうがいいか」
「はい。お車は支度してあります、では着替えの用意を――」
……たしか、このインテリ風味な眼鏡のイケメンはベルナルドの部下か。
「例の事故があっから、早めに本部に戻りてえな……10時半になったら、ホテルの方に電話いれてくれな。中座してくっから」
「了解です――」
たしか、ジョバンニとかいう名前だったその兵隊は電話でどこかに色々指示して――
「ふう……」
俺は、革の匂いも心地いいボスの椅子に深く沈み、また無為な天井を見上げる。

……礼拝やらパーティーやら、年の瀬のごたごたで忙しいクリスマス――
……よりによって、そのときを狙ったように港で大事故だ――
……イヴァンやルキーノは、何者かの破壊工作、という線を疑っていたが――
……どっちにしろ、とてつもなく面倒で、とてつもなく忙しい――
……そんなクリスマスが、もう目の前に迫ってきていた。

「しかも、俺一人とはなー」
ベルナルドはNY、ルキーノはボストン、イヴァンはワシントンDC、ジュリオははるか彼方の南洋、今ごろカリブ、フロリダ? カヴァッリ爺様は隠居先のNY郊外に戻って病気療養中、アレッサンドロの親父はシカゴの親分たちと忘年会とかぬかして出張中(もっとも、敵対組織の多かったシカゴが親父のおかげで静かなのは実にありがたい)。
つまり、今の俺は――
「あれ。こういうの、もしかして、はじめてじゃね……?」
――ただひとり、このデイバンに、CR:5本部に、取り残されていた。
「……ひゃっほう。オナニーし放題じゃね。…………ふう……」
働いてる兵隊たちに聞こえないように小声で言った独り言のせいで、じつに、むなしい気分になることができた。
「……ガキじゃねーんだ。俺は。ボスだ、カポだ――シノいでみせねえとな」
どんな面倒事や荒事が起こるかわからないが……ひとりで、やるしかない。
クリスマスになれば……あいつらが、戻る。
そのときに――あのタンカーが動かせていれば……きっと最高のクリスマスだ。
「神サマにお祈りでもしてみっかな、ハハハ」
自嘲した俺に、少し離れたところからさっきとは別の部下が報告する。
「――カポ、着替えの支度が。お部屋の方へお願いいたします」
「ア、ソウ。グラーチェ」
背の高い、巻き毛のイケメン――たしか、こいつはルキーノの直属だ。
「ええと、アンタは……なんだっけ、ごめん、ピアッジ君だったかな」
「いえ、ピアッジは隊長と一緒にボストンへ。自分は、カンパネッラです」
「オッケ、名前も覚えたぜ。それじゃ行こうか」
ベルナルドたちが残していったということは、さっきの眼鏡もこの女殺しなツラの巻き毛も、おそらく銃も腕っ節も立つ連中なのだろう――ジュリオ不在の本部で、俺は窓の外の闇夜を、冬の暗い空を見ながら、
「……ロックウェルでチキンでもかじっててくれよ、あのイカレ野郎……」
俺は、最悪最凶の敵のことをチラッとだけ思い出しながら――磨き上げられた執務室の扉をくぐった。



□10:00 pm December 22

「――コーラだ。冷えてねえヌルヌルのヤツだぞ」
その男は、デイバンのロックフォート港に続くヘリング通りにあるパブ『マドンナ』のカウンターにどかっと身を沈め、それだけ、言った。
見慣れないその男の異様に……ぎょっとするほど高い背丈に毛皮の襟のついた革コート、そしてボロ布をアラブ人の ターバンのように頭にまいた、その異形の男は――このイタリア系ばかりの下町で、スラングまみれの英語でコーラを注文し、5セント玉をシミだらけのカウン ターに滑らせた。
『マドンナ』のバーテンは、その不気味な男を見、少しためらってから――冷蔵庫の裏手の木箱から、冷やしてないコーラ瓶を取り出してカウンターに置いた。
「………………」
「…………」
いつもなら、この店で酒以外を注文するようなボンクラがいたら、即座に因縁をつけておもちゃにするはずの港の荒くれどもも、その男の姿に、異様に……完全に飲まれ、皆が押し黙って、ただその男の姿を目の端で、直視しないようにしながら追っていた。
「何だクソ、これ冷えてんじゃねえか。ああ、そうか冬か。クソッ、なんて時代だ!」
その男は、くわっと蛇のように開いた口で、やけに小さく見えるコーラの瓶に噛み付き、紙のように王冠を食いちぎった。
そのはずみで――男の、コートが、揺れた。
「……!? げ……!!」
その分厚い革コートの下からは……隠す気もないのか、巨大な散弾銃を飲み込んだホルスターがだらりと、男の足にまとわりついて……不気味に、光っていた。
銃身を切り詰めた散弾銃は、持っているだけで重罪だ――だが、この男はそれを、まったく隠す気もなくコートから覗かせ……そして、コーラの瓶をちびちびと舐めて――何かを、待っているかのように、そこから動かなかった。
「お、おい、あれ…………」
「どうする、市警に……」
「……まて、おまわりはまずい。先に地回りの旦那に……」
荒事が好きな漁師たちでも、この異形の男の存在は、あまりにも異世界のそれだった。
店の隅にいた男が、こそこそと店を出て通りに走る。
そして…………5分も経たないうちに、この通りを仕切っているやくざ者が――立場的には、ルキーノの部下の、さらにその下に当たる地回りの男が、『マドンナ』に駆けつけた。
「クソが、この寒ぃさなかにヨォ」
こんな時間に呼び出され、その中年男は不機嫌だった。
「……なんだなんだあ。どこのカッペが、俺様のシマで馬鹿やって――」
地回りのやくざは――正確にいえば、イタリア系というだけでCR:5に使ってもらっているちんぴらの男は、肩で風を切って店に入り、そして…………。
「……お。……おうおう。このデカブツの棒鱈野郎、うちのシマでなにして――」
そのちんぴらは、異形の姿に一瞬、気圧されたが……数少ない自分の仕切りを土足で汚したこのよそ者に、ずかずかと近寄って、尖らせた肩をぶつけた。
運の悪い男もいるもので――そのちんぴらの角度からは、異形の顔も、コートの下の散弾銃も見えない位置にあった。
「おいコラ、きいてんのかテメエ。ビビってんのか、コラ」
「――待て。……5、4……」
「んあ? てめえ、どこのチンピラだ、ああ?」
「3、2、イチ! ……あ、クソ、屁がひっこんじまった。不発だ、小便臭くなる死ね」
「な……!? ンダこら! てめえ、なめてンのk  」
こうして……。
――何かあったら、すぐに上役に連絡すること、という組織の鉄則を無視した地回りのちんぴらは、短い上にどうでもいい彼自身の物語はそこでピリオドを打たれた。
□10:30 pm December 22

「――おう、定時連絡ご苦労。……ナイスタイミングだぜ。年寄りの話はどーも長……」
途中から周囲に聞かれないように、声をひそめて電話口に俺は言っていた。
「市長さんが、なんか話があるって感じだったけど……。まあ、どうせ明日、市長さんのお屋敷で昼食会だからな。そんときでいいだろ」
『……カポ・デル・モンテ……! あの、』
「じゃあ、不測の事態があった、ってことで俺はこっちのパーティーは中座する。たぶん、12時前には戻れると思うから……」
デイバン・ホテルのパーティ会場で――電話で呼び出され、きらびやかな会場から少し離れた観葉植物の影で電話をとっていた俺の耳に、あのジョヴァンニとか言う兵隊の声が、低く押さえられてはいるが、火がついたような焦燥した声が飛び込んできた。
『……緊急事態です! あの、いえ、本物の!! その、ブラフではなく――』
「はあ……? お、おい、いったいなにが……」
受話器の向こうで、短い口論と舌打ちの音がかすかに聞こえ、そして電話を変わった、別の男の声が俺に報告してきた。この声は、ルキーノ部下のあいつか?
『――申し訳ありません、カポ……。緊急事態です、市街からの報告で、ロックウェルのギャング、GD団の幹部らしき男を拘束した、との報告が入りました』
「な……!?」
やばい、デカイ声になってしまった。離れたところで談笑していた市長と、ペンギンみたいな夜会服の男たちが、ちらと俺の方を見ていた。
「……シット。……GDの、野郎だと?」
『はい。報告では……おそらく、あのショットガン・バクシー、だと…………』
「な……。なん……だと……」
俺のアタマに、一瞬で……クリスマスをひかえたデイバンの街並み、ダウンタウンが、血と硝煙、暴力と狂笑に塗りつぶされてゆく光景が広がった。
だが、
『バクシーらしき男は、現在、うちの部隊で包囲しており――制圧、してあります』
「は……?」
一瞬、その光景がアタマに思い浮かばなかった。
あのキチガイが……最凶のファッキン野郎、あのジュリオとタメを張るバクシーの野郎が、兵隊相手に包囲、制圧……?
「そりゃ、マジなのか……? なんかの罠じゃ――」
『そう、かもしれませんが――申し訳ありません、ご指示を……』
「…………っ……」
気づくと――心臓が、ありえないくらいバクバク荒れ狂っていた。背筋に、嫌な汗がびっしょりと雫を作っていた。
よりによって……ジュリオも、イヴァンもルキーノも、誰もいない時に……!!
「わかった――」
俺は受話器に、溜めていた息と言葉を吐き、
「そのまま、包囲を。市警には気付かれないようにしろ――いや市警、たしかベルナルドの担当でハナシが通せる警部がいたはずだ、そいつにナシを」
『わかりました』
「……すぐ戻る」
俺は電話を切ると――世界を照らしていた電球が切れてしまったようなような気分で、数分前のパーティーの時と比べると、やけに暗く見える会場で……天井を見上げる。
「ファック」
シャンデリアのきらめき越しに見える天井には、色鮮やかな宗教画が描かれていた。
「――申し訳ありません、市長。その……」
「港で、また何か?」
「え、ええ。すみません、せっかく……」
俺は、市長閣下と来賓のペンギンたちに詫びと礼を言って、さらに暗い世界に向かった。

□11:55 pm December 22

「……!? 馬鹿な!? あのキチガイが、俺らに投降した、だとぉ??」
俺は、本部の廊下を早足で進んでいた足を、ギクッと止めて――
「あいつが、手ェあげた、だって?? ありえね――ー」
――つい、ガキみたいな大声になってしまっていた。
だが、俺のなけなしの威厳も責任もすっ飛ぶくらい、その報告の内容はイカれていた。
「自分も、信じ難かったのですが……。ですが、たしかにあいつを拘束しました」
俺の背後についてきていた、護衛の黒服、スーツ姿も、俺と同じく動揺していた。
「……武装解除にも、応じました。現在、5番倉庫の、暗室に拘束を――」
「……マジで、あのイカレ野郎なのか?」
「はい。間違い、ありません。俺は、あいつと撃ちあったことがありますから」
「マジか……」
俺は、定規のように真っすぐ立って報告した兵隊を……意味もなく、睨みつけてしまう。
「ありえねえだろ!? なんで、あいつが今の俺たちに降伏する!? あいつなら!! いまならあいつ、俺のクビとれるだろう!? それが、なんで!?」
「――…………」
「自分には、その……」
「…………」
幹部たちが残していってくれた、生え抜きの部下たちは――ガキのような有様の俺の前で、よくできた犬のように、ただじっと直立不動を続けていた。
「く…………」
俺は、その男たちをぶん殴りたくなる自分の愚かさ、それをハラの中でガンつけして、目を閉じ――自分を殴る代わりに、深呼吸を、2発。
「……すまねえ。みっともねえとこ、見せたな。めんぼくねえ」
「い、いえ、そんな……!」
「カポ、やめてください……!」
さっきまで直立不動、デキルやくざスタイルそのものだった粋な兵隊たちは、俺が小さく頭をさげると、今度は可笑しくなるくらい慌てていた。
「しっかし……まだ、信じられねえ。火星人を捕まえた、って言う方がまだ信じられる」
「自分も、です。あれだけ、俺たちを苦しめた暗殺者が、こんな――」
「何かの罠でしょうか?」
「わからねえ。……まだ、殺してはいないんだな?」
「はい、はい。完全に、投降しまして――武装も、すべて解除してありますので……」
「……ますます、わかんねえ……」

あの野郎が――俺たちCR:5の宿敵、ギャング団GDの、最凶の幹部、バクシー。
何度も俺のタマをフッ飛ばそうとして、そして何度も、ぎりぎりのところで俺がそれを躱して生き延びてきた――俺の部下の幹部たち、そして俺のささやかなラッキーがなければ、とっくに俺を殺すだけでなく、このCR:5すら吹き飛ばしていた、あの敵。
そいつが、今…………。
俺が、こちらが何もしていないのに、すべての武器を捨てて、投降してきた。

「もう12時か――ベルナルドに、幹部たちに報告は?」
「はい、先ほど緊急の連絡をいれました」
「あと30分で、全員との同時通話が出来る電話回線を用意……」
その報告をした兵隊が、何かにハッと気づいて目を伏せた。
「……申し訳ありません、ボンドーネ幹部は、まだ海上で――」
「ああ、わかってる。回線が用意できたら俺に知らせて……」
俺は、また時計を見る。
……30分
――やめておけ、罠だ、シャレにならん、先に幹部と相談しろ、と――俺の頭上で、ちびた天使も悪魔も一緒になって、俺の思いつきを否定しにかかっていた。
……30分。
幹部が留守の今、ここの責任は、全部、俺が背負う。
何か、理由があるはずだった――で、なければ、あの野郎がホイホイと俺たちの言いなりなんかになるわけがなかった。
電話会議の前に、それを確かめておく必要が――あった。
「案内してくれ。いや、たしか――」
「えっ……」
「5番倉庫だったな。ちゃんとあの野郎は拘束してあるんだろうな?」
「まさか、カポ……」
ようやく、俺の決意を悟った兵隊たちが慌てだしたが――俺は、その忠実な男たちを置き去りにするようにして、本部の出口に向かって足早に進んでいった。

「ラッキードッグ1」バクシー誕生日ショートストーリーR2
『Happycracker salute』
2010.12.25~2011.01.07

□11:15 pm December 21
□ 6:30 pm December 22
□ 7:45 pm December 22
□10:00 pm December 22
□10:30 pm December 22

□11:55 pm December 22

「……!? 馬鹿な!? あのキチガイが、俺らに投降した、だとぉ??」
俺は、本部の廊下を早足で進んでいた足を、ギクッと止めて――
「あいつが、手ェあげた、だって?? ありえね――ー」
――つい、ガキみたいな大声になってしまっていた。
だが、俺のなけなしの威厳も責任もすっ飛ぶくらい、その報告の内容はイカれていた。
「自分も、信じ難かったのですが……。ですが、たしかにあいつを拘束しました」
俺の背後についてきていた、護衛の黒服、スーツ姿も、俺と同じく動揺していた。
「……武装解除にも、応じました。現在、5番倉庫の、暗室に拘束を――」
「……マジで、あのイカレ野郎なのか?」
「はい。間違い、ありません。俺は、あいつと撃ちあったことがありますから」
「マジか……」
俺は、定規のように真っすぐ立って報告した兵隊を……意味もなく、睨みつけてしまう。
「ありえねえだろ!? なんで、あいつが今の俺たちに降伏する!? あいつなら!! いまならあいつ、俺のクビとれるだろう!? それが、なんで!?」
「――…………」
「自分には、その……」
「…………」
幹部たちが残していってくれた、生え抜きの部下たちは――ガキのような有様の俺の前で、よくできた犬のように、ただじっと直立不動を続けていた。
「く…………」
俺は、その男たちをぶん殴りたくなる自分の愚かさ、それをハラの中でガンつけして、目を閉じ――自分を殴る代わりに、深呼吸を、2発。
「……すまねえ。みっともねえとこ、見せたな。めんぼくねえ」
「い、いえ、そんな……!」
「カポ、やめてください……!」
さっきまで直立不動、デキルやくざスタイルそのものだった粋な兵隊たちは、俺が小さく頭をさげると、今度は可笑しくなるくらい慌てていた。
「しっかし……まだ、信じられねえ。火星人を捕まえた、って言う方がまだ信じられる」
「自分も、です。あれだけ、俺たちを苦しめた暗殺者が、こんな――」
「何かの罠でしょうか?」
「わからねえ。……まだ、殺してはいないんだな?」
「はい、はい。完全に、投降しまして――武装も、すべて解除してありますので……」
「……ますます、わかんねえ……」

あの野郎が――俺たちCR:5の宿敵、ギャング団GDの、最凶の幹部、バクシー。
何度も俺のタマをフッ飛ばそうとして、そして何度も、ぎりぎりのところで俺がそれを躱して生き延びてきた――俺の部下の幹部たち、そして俺のささやかなラッキーがなければ、とっくに俺を殺すだけでなく、このCR:5すら吹き飛ばしていた、あの敵。
そいつが、今…………。
俺が、こちらが何もしていないのに、すべての武器を捨てて、投降してきた。

「もう12時か――ベルナルドに、幹部たちに報告は?」
「はい、先ほど緊急の連絡をいれました」
「あと30分で、全員との同時通話が出来る電話回線を用意……」
その報告をした兵隊が、何かにハッと気づいて目を伏せた。
「……申し訳ありません、ボンドーネ幹部は、まだ海上で――」
「ああ、わかってる。回線が用意できたら俺に知らせて……」
俺は、また時計を見る。
……30分
――やめておけ、罠だ、シャレにならん、先に幹部と相談しろ、と――俺の頭上で、ちびた天使も悪魔も一緒になって、俺の思いつきを否定しにかかっていた。
……30分。
幹部が留守の今、ここの責任は、全部、俺が背負う。
何か、理由があるはずだった――で、なければ、あの野郎がホイホイと俺たちの言いなりなんかになるわけがなかった。
電話会議の前に、それを確かめておく必要が――あった。
「案内してくれ。いや、たしか――」
「えっ……」
「5番倉庫だったな。ちゃんとあの野郎は拘束してあるんだろうな?」
「まさか、カポ……」
ようやく、俺の決意を悟った兵隊たちが慌てだしたが――俺は、その忠実な男たちを置き去りにするようにして、本部の出口に向かって足早に進んでいった。


□00:15 am December 23

5番倉庫は映画会社に偽装しているCR:5本部が持っている建物のうち、普段は使われることのない小さな『セット部屋』を集めた倉庫だった。
もちろん、倉庫の中をハチの巣のように区切っている小部屋は、ただのセットではない。
壁には、鉄骨入りのコンクリ、扉はスチール製の――いわゆる、私設監獄だ。
あの野郎が拘束されているのは、その奥――『暗室』と呼ばれている、いわゆる尋問室だ。もちろん、必要と有らば拷問もそこで、する。

「……こちらです」
無機質な白熱灯の光源が照らす、コンクリがむき出しの廊下を、俺と護衛たちは進む。
俺が、あの狂人と面会をするために――再度、武装の解除と安全を確保するため、10分以上の時間が経っていた。
俺は……。
通路の途中、他とは違う両開きの扉の前で立ち止まっていた。
ここが、暗室――ヤツのいる、尋問室だった。
「やつは……暴れていたりするのか?」
「いえ、おとなしくしています。ただ、頭のおかしい歌を歌って、すっと、その」
「ずっと?」
「貧乏揺すりをしています。やかましかったら、止めさせます」
「――わかった。開けてくれ」
ジョバンニという名の兵隊が、緊張した面持ちで、扉の横にあったインターホンのボタンを押した。そして、持っていた鍵で鋼鉄の扉のカギを開ける。同時に、扉の向こうでも待機していた見張りの兵隊が内カギを開ける音を響かせた。
「気つけろ……」
ポンプ式のショットガンを槍のように構え、俺の背後についてきていた兵隊が仲間たちに小さく言う。こいつは……そう、あの巻き毛のあいつだ。他の兵隊も、拳銃や棍棒を手に、猛獣の檻を前にしたような表情で――俺をがっちり囲んでいた。
そして……扉が、開く。
そこには――バクシーの姿はなかった。扉が開いたそこには、でかいガラス窓が壁にはめ込まれた、がらんとした部屋があり――そのガラス窓の傍らに、これも高鉄の扉が、あった。そして、ここにもショットガンを持った兵隊が二人、見張りについていた。
「この、奥です」
「そこの扉か……。あけてくれ」
ガラス窓の向こうは、真っ暗だった。
……ベルナルドから話だけは聞いていた『暗室』。
この分厚い窓は1枚の強化ガラスで、表面の仕上げと光源の加減によって、むこうの、暗室――尋問部屋から、こちらは見えないようになっていた。
そして…………。
「マジか――」
……いた。間違いなかった。あのイカレ野郎が、奥の部屋にひとり、居た。
「たしかに、GD幹部……バクシー、だ。クレイジーショットガン、バクシーだ……」
「……!」
俺の言葉に、見張り、そして付いてきていた兵隊たちが、ギクッと身をこわばらせたのがわかった。
窓の向こうの、仇敵は……バクシーの野郎は……。
「マジで捕まってやがる……」
あのイカレ野郎は、映画のセットでも使う頑丈な木の椅子に座らされ、上半身は裸にされて手錠を前でされ、足も、手錠も、ロープでその椅子に縛り付けられて……いた。
ズボンとブーツがそのままなのは、おそらく、拷問の時にそれを脱がす――という恐怖を与えるためだと、ルキーノが話していた気がする。どのみち、ズボンもブーツも、縫い目までしっかりチェックされ隠したものはすべて取り上げられているはず、だった。
ハラに、何か巻いているのは下着だろうか。見たことのない生地だった。
「……あの野郎――」
たしかに、あの最凶の敵は……俺たちの手の中で、無力に捕らえられていた。
その光景が――不自然すぎて、俺のアタマはその現実を受け入れるのに時間がかかる。
「もう一度聞く、が……あいつは、街で捕まって――投降、したのか?」
俺の質問に、背後のカンパネッラがつばを飲み、答える。
「……はい。ロックフォートの下町にある飲み屋で暴れているところを見つかって、そこに、俺の兵隊を差し向けて……確保、しました」
「飲み屋で?? あの野獣が!? あばれた??」
なにひとつ、納得できなかった俺に……そのイケメンは身をすくめるようにして続けた。
「も、申し訳ありません、正確には……。あいつが、『マドンナ』という店にいきなり現れて、そこにいた地回りともめて……殺し――」
KILL。殺した。その単語が、やっと俺の頭の中で回線をつなげた。
「あの野獣が、下町の飲み屋でケンカ? ……クソ、どうなってる――」
「それが……あいつは地回りを殺したあと、店の人間に俺たちを呼べ、と……。そうして、そのまま捕虜に、しました」
「俺たち……? つまり――CR:5に捕まるのがわかってて、あの野郎――」
「そう、言うことだと思います。尋問してみましたが、何も……言いません」
「わかった。開けてくれ、俺が話す」
俺の言葉に、再び、兵隊たちがざわざわっと揺れた。
「し、しかし……! まだ隊長たちからの指示が――」
「危険です! 拷問でしたら、俺たちで……!」
俺は、少し意地悪にした顔で――実際、ハラの中が困惑や、そしてごまかしようのない恐怖で吐きそうなほどブルっていたせいで――俺は、いつもより不機嫌になっていた。
「カポの命令だ。それとも……俺が、あんな手錠までされた男相手にびびってると?」
「い、いえ……。しかし――」
「開けろ」
命令だ、まで言う必要はなかった。あの巻き毛とは別の兵隊が、見張りたちに合図をして『暗室』の扉に手をかけた。
「…………」
鋼鉄の鍵が動く音がして――扉が、開く。
「二人、付いてきてくれ」
『暗室』の中からは、名前に反して、目が痛くなるほどの強い照明の閃光が漏れてきていた。おそらく、これも捕虜への苦痛のひとつ、なのだろう。
俺は、眩しい照明雨の中、影のように見える男の姿に――数歩、足を動かす。
その俺に、
「――ヨォ。出るもんが出たな。やっとお出ましか、ハハッハァ」
「…………!」
間違いなかった。
何度も、雷鳴のような散弾の轟音、爆発、そして……狂ったような、野獣の哄笑。
いつもそんな不吉な音を従えていた、あの狂人、最悪の敵の声が……。
「おまえか――」
無力に捉えられた、その男の口から飛び出していた。

□00:35 am December 23

ガッコ、ガッコ、ガコ! …………耳障りな音が、響いていた。
「おい、やまかしいぞ! 静かにしろ!!」
俺の背後にいた護衛が、俺をかばうように進み出て――バクシーの野郎が縛り付けられている椅子の足をショットガンの銃床で手ひどく、バクシーのブーツごと殴った。
「痛てて、ひでえなあ。いいじゃねえかよう、貧乏ゆすりくらいよぅ」
バクシーの野郎は、この状況で――ヘラヘラと笑い、また身体を前後に揺らした。
「俺よぅ、生まれが悪いもんでな。座るとこのクセがぬけねーんだわ」
再び、広くない『暗室』の中に椅子の足がコンクリを噛む音が広がる。間抜けな馬の足音みたいなその音に、護衛が舌打ちし、銃を振り上げる。
俺は、その男の前に小さく手を上げ、
「やめろ。――ぶん殴るのは、話が終わってからにしろ」
護衛がショットガンを下ろすと、
「ホウ」
バクシーの顔が、爬虫類じみた大きな口がニヤッと笑って俺を見上げる。
「ハナシがわかるねえ、ラッキィワンワンちゃん。待ってたかいがあったぜぇ」
「……な……! この――」
兵隊の前で、俺は通り名を罵倒され……カッと、アタマに血がのぼった。
……このまま、ぶん殴って……護衛の持ってるショットガンをふんだくって、このキチガイに全弾、ぶち込んでミンチにしてやる――それが、たったひとつの手段だと……。
「……ふう……」
――深呼吸、する。この呼吸法というヤツは、ジュリオが俺にくれたプレゼントの中でもピカイチのオッティモなアートだ。
「――覚えとけ。主役は遅れてくるもんだぜ」
「ホウ」
「……ん……?」
そのときになって――俺の鼻を、そして目を、むっとするような異臭が刺した。
「……ションベン……?」
「はい、こいつ……縛られて、すぐに、何も言わないで漏らしゃがって」
護衛が吐き捨てるような声で、俺に報告する。
バクシーの縛り付けられた椅子とコンクリ、そして野郎の履いたズボンには、どす黒いシミが広がって、そこから尿の刺激臭が立ち上っていた。
「すみません、あとで、水を――」
「……缶くらい差し入れてやれ。前手錠だから自分でできるだろ」
俺は部下に小声で言い――そして、バクシーの方に向き直る。
「それで? ロックウェルのどカッペが、なーんで」
俺は、ズイとバクシーの前にしゃがんで――ビビらないよう、真っ向から野郎のツラを、ギロッとした目を、睨みつけた。
「なんで、てめえがデイバンにいる? なんで、あんなサル芝居うった?」
「ホウ」
囚われているはずのバクシーの目が、何か……宝物でも見たように、ぎらり光る。
「……か、カポ……」
バクシーに近づきすぎた俺に、護衛たちが前に進み出て俺を引き戻そうといた。俺は、その手を払って続ける。
「なんで、俺たちに降伏なんかした? こうなって――ブッ殺されるのはわかってただろうが? ええ? 何が目的だ――」
俺の声に、バクシーの目が……くそ、ケツのあたりがブルって、嫌な汗が出てる……この蛇みたいな目とガン飛ばしをし続けた俺にバクシーは、
「ホウホウ。ハハッ、ただのお嬢ちゃんじゃねえ、とはわかってたんだがなァ」
大きな口が笑って、ベロリ、ぎょっとするほど長い舌がそこからはみ出す。俺は、ハッとして後ずさってしまう――食われる、なぜか、そんな本能的な恐怖を感じていた。
「――シノギの話をしようぜ、ミスタ・マカロニ。いや……マフィアのカポ、さんよ」
「……ッ!?」
突然――背筋をナイフで撫でられたような、ビクっとするほど冷たい声が、この狂人の口から――まっすぐ、俺に向かって飛んできた。
「シノギ、だと?」
「ああ。あんたらイタ公マフィアと取り引きがしてえ」
「俺たちと……? まさか――」
俺は、このチチガイの裸の胸板に、気味の悪い刺青がされた身体につかみかかりそうになって――それをこらえて、言った。
「まさか、てめえ……? そのために――俺と、ナシをつけるために、こうやって……」
「ホウホウ。物分りのいいヤツは大好きだぜ、俺ァよ。で、どうだ?」
バクシーは、またあの長い舌と、人間離れした犬歯を剥きだして笑い、言った。
「少しのあいだ、手を組まねえか? あんたらに、頼みがある――あんたら、イタ公じゃねえとダメなんだ。ハナシ、聞いてくれるか?」
「な……」
気づくと……俺は、バクシーから後ずさってしまっていた。
「……ッ、く……おい、どういう……」
バクシーが……あの狂気の野獣が――項垂れたように、目を伏せていた。
――もしかしたら……この狂獣が、頭を下げて……? いや、ありえない……。
「頼むわ。クリスマスまでには、どうしてもカタをつけなきゃならねえんだ」
「お……おまえが、俺たちに――頼み、だと? クリスマス……?」
「そうだ。遅くとも明日には、なんとかしてえんだ」
「そうか……明日……クリスマス――」
馬鹿なオウムのようになってしまっていた俺の背後で、護衛たちが鋭い声で耳打ちをしてきた。
「……いけません、カポ……! きっと、罠です、耳を貸しては……!!」
「隊長たちの指示を――い、いえ……、その、意見を聞くべきです……!!」
「ここは――あとは、俺たちが……!!」
「――…………」
護衛の、部下たちの言葉はしごく、まっとうだった。まったく、そうすべきだった。
だが、俺は――

……なぜだろう。
……まわりに、あの頼れる男たちが、部下たちが――……ベルナルドも、ルキーノも、ジュリオも、イヴァンもいないという――……この不慣れな空気の中で――少し、おかしくなっていたのだろうか……?

「……静かにしろ。おちつけ、おまえら。――こいつが見えないのか?」
俺は、背後の護衛たちにウィンクを投げ……やばい、顔がこわばってた……そして、
「手錠して、椅子に縛り付けられてる野郎にビビってどうするよ? どのみち……」
俺は、再び足を進め、バクシーの前に出る。
「あとで、サウンドオンリーの幹部会議だ。その前に、このキチガイのハラの中を聞き出しておかねえと二度手間だぜ」
「しかし……」
なにか言おうとした兵隊――ジョヴァンニとか言う、ベルナルドの腹心に俺はキッときつい目を向けて、言った。
「――この『暗室』の会話は、全部、記録してあるな?」
「は……はい、こいつを確保した時から、レコードを回してあります」
「よろしい。あとで書面に起こしてくれ」
俺は口早に命令し、兵隊を黙らせてから――控え室にあった椅子を持ってこさせ、座る。
「さあて」
俺は、バクシーの前で座り――立場と、状態の違いを魅せつけるようにして脚と腕を組んでから、言った。
「……言ってみろ。こうやって、武器も全部取られて、椅子に縛り付けられた哀れな標本のカエル野郎が――俺たちに、頼み? シノギ? ハナシだって?」
「ああ、頼みがある。シノギの、ハナシがしてえ」
「…………」
俺は、このイカレ野郎を挑発して怒らせるつもりだったが――こいつは、俺の挑発をそのままそっくり、英語で俺に返してきていた。
「……クソ。言えよ、何が望みだ? なにがしてえんだ、おまえは?」
「ハハッ、さっき、小便はしちまったからな。いま、俺がやりてえことはただひとつ――」
バクシーは目を細め、笑うと……手錠された手を、ハラにまかれた布の下に滑らせる。
「……!?」
武器は取り上げられている、と……わかってはいても、俺は、そして護衛たちも、ジワッと後ずさってしまった。
だが――腹にまかれた布から出た、手には…………。
「な……??」
「ば、馬鹿な!? ボディチェックは完璧……!?」
護衛があわててそう口にしたときには――バクシーの手は、何か、短く切ったゴムホースのようなものをつまんで……それを、くちゃくちゃと食って……いた。
「て、てめえ! どこに隠してやがった!?」
「ハア? チェックあめーのを人のせいにすんな。おいカポ、そいつ減俸しとけ」
けちょんとした声で、バクシーは言い……唖然とした俺達の前で、あの白いホースのようなシロモノを美味そうにかじっていた。
俺のあごが、歯が……なんというか、意味不明の怒りでギリっと音を立てた。
「……それを、食いたかった――のか? オメーの望みは、イカレ野郎!?」
やっとのことで言った俺に、バクシーは食いかけのホース?を腹の布にしまって、
「いんや。ちょっとハラ減ったんでな。まあご覧のとおりだ――今の俺は、ちくわしか持ってねえ。武器も、かねも、なーんもねえ」
「……ティクワ?」
「おう。NYのリトルトーキョーでもらってきた。魚で作ったパスタだと。うまいゾ」
「……クソ、ふざけやがって――それで、その文無し野郎が……シノギだと?」
「ああ――」
不意に……バクシーの声が、あの、背筋を刃で撫でるような冷たさに戻っていた。
「あんたらの仕切りの港、デイバン港か――あそこに今、とんでもねえデブのタンカーが乗り上げちまってるだろ?」
「…………」
あれだけの大事件だ、このイカレ野郎が知っていても何の不思議もないが……まっすぐ、こいつの口からそれが出て俺は困惑してしまっていた。
「それが、どうした?」
「あの船を、どかしてくれねえか?」
「な……!? なん……」
「すぐにでも、あのデブを埠頭からどかして――下敷きになってる、潰れかけの倉庫を開きたい。俺の望みは、これだけだ。どうだ、のらねえか?」
「……ま、待て、なんでお前が、ロックウェルのギャングが、そんな――」
俺の困惑は、狼狽とかいう感情に向かって悪化していっていた。
……こいつが、このキチガイが……あの船を、なんとかしたい、だと……?
「何が、狙い……」
言葉をうまく見つけられないでいる俺の背後で、
「ハッ……! 腐れギャングが、たわごとを!!」
護衛のひとりが――ルキーノの部下が、吐き捨てるように声を荒らげていた。
「貴様のハナシなんぞ関係なしに、あの座礁したタンカーはどのみち動かすんだ!!それに……今の貴様が、俺たちと取引できる立場か?」
「――…………」
口出しされて、俺は少々ムッとしたが――だが、この兵隊の言葉は、1ミリの狂いもなくそのとおり――俺が腹で思っていたこと、そのままだった。
だがバクシーは、あの冷たい声のまま……。
「うるせえ三下。俺ぁ、このカポと話してんだ」
「ぐ……この!!」
「やめろ、馬鹿――」
……まずい。部下を制止した俺の声は、ビビリと苛立ちがそのまま、色を塗ったようにはっきりと出てしまっていた。……深呼吸の効果は、だいたい5分、か……。
「も……申し訳ありません……」
カンパネッラだったか、護衛の男がうなだれて声を出すと、
「――どうだ? ハナシにのらねえか、ラッキードッグ、よう?」
「……!」
バクシーの声が、再び俺をハッとさせた。
「……部下に言われちまったが――あのタンカーは、すぐにでも動かす手はずを整えてる」
大ウソだ。実際は、まだ何の手立ても打ててない。
「ホウホウ」
「それに――このあと、ここで『処理』されるお前の頼みを聞く必要は、どこにもないな」
俺は、これ以上はないくらい非情に言い捨てた。つもりだった。
だが、
「ほんとうにそうか? 本当か? ハハァッハ!!」
「……!?」
狭い暗室の中に、バクシーの狂咲が炸裂して耳がキイン!と傷んだ。
「どういう意味だよ、このキチガイ……!?」
顔をしかめた俺を――バクシーの、蛇の牙のような鋭い目が……刺した。
「――俺と契約しようぜ、ラッキードッグ。男どうしの、ナシをつけようや」
「け、契約……?」
「そうだ。クリスマスまでに、あんたらがあの油デブを、タンカーを埠頭からヘッ剥がしてくれたら――約束する、俺は、少なくとも次のクリスマスまでは大人しくする」
「な……??」
「1年間、ラッキードッグと部下、それとこのデイバンには指一本ふれねえ。それで……どうだ? 大急ぎで、あの船を引っ張り出しちゃくれねえか?」
「ば……バカな――なんだ、そりゃ……」
「……たわごとだ! 捕虜が、俺たちの敵が、何を馬鹿な……!!」
今度は、別の護衛が吐き捨てるように背後で毒づいた。
「ハハッ、行儀が悪なトマトの兵隊どもはよ。これがGDならてめえら、生きたままドラム缶に入れられて砂漠に埋められてっぞぉ? ――まあいい、どうするよ?」
「く……」
……深呼吸――駄目だ、頭の混乱は、困惑は止まってくれなかった。
……この場で、ショットガンをひったくってこいつを吹っ飛ばす、それが唯一の正解に思えて、そうしたくて仕方がなくなってきた。
俺は……血が出るほど強く、唇の内側を噛んで――血の味で、自分を落ち着け……。
そこに、
「――カポ、コマンダンテたちとの通話回線、準備完了しました」
「……っ……」
背後で、若い兵隊の報告が響いて――俺は、フッと怒りと困惑の泥沼から足を引きぬくことができた。
「――わかった、すぐに行く」
「カポ、では……?」
護衛たちの不安げな声に、俺は……。
「このキチガイは、このまま置いておけ。また明日、尋問する」
「……了解です」
背を向けた俺に、バクシーの声が……あざ笑うような声が、追いかけてきた。
「どうするか、決めといてくれよ? あんまり時間がねえんだ、頼むぜえ? なあ。――迷ってるとチャンスは逃げるぜ? ラッキードッグ、ヨォ?」
「……ッ!! うるせえ、キチガイが――」
俺は言い捨て、護衛が開いていた扉から、控え室に、そして通路まで……出る。
バクシーに背を向け、進んだ俺の背後で、特大の引き金が引かれたような音がして――『暗室』は再び、鋼鉄の扉で閉鎖された。

□01:20 am December 23

『――すまない、ジャン……。まさか、お前をひとりにしたときに限って……』
『――あの毒蛇が、まさかデイバンに潜り込んでいたとはな。警戒網を抜けて……』
『――おいジャン、おめえ、大丈夫なのかよ? 襲撃食らったのか、おい!?』
……文明の利器を前に、俺は――
「ええと。諸君。順番に頼む。受話器、っつーか耳は1セットしかねえんだ」
俺は、執務室にセットされた特別な電話機に――これまで、何度か使ったことがある、複数の通話回線をひとまとめにして話す機能がある電話の受話器に、咳払いした。
「――だから、大丈夫だって。バクシーの野郎は、俺がパーティーでシャンパン舐めてるあいだに優秀なソルダートの諸君が捕まえて、いまは『暗室』でふん縛ってあるさ」
俺が受話器に話すと……ピ、ピ、と受話器から信号音が漏れる。これは、はるか何百マイルも彼方にいるベルナルド、ルキーノ、イヴァンが、それぞれ自分の回線接続をボタンで確かめた、その音だった。
『――しかし、にわかには信じられないな。あいつが……投降だと?』
『――ロックウェルの仕掛けた罠じゃないのか? 兵隊たちを集めたほうが……』
『――ていうか、まだあのキチガイ生かしてるのか? あぶねえって、さっさと……』
……これは、電話機を三台用意するか、個別に電話したほうがよかったか。
「だから、がっちり捕まえてあるって。大丈夫。てかコニーアイランド動物園のライオンにびびって泣いてるマンハッタンの坊主か、俺は? ……心配すんなって」
俺が少し怒ったように言うと――受話器の向こうは、少し、静かになった。
そして、
『――わかった。だが、くれぐれも用心してくれ、ジャン』
「ああ。第五倉庫の周りは、がっちり兵隊で固めてあるさ」
『――せめてジュリオがいてくれればな……』
『――ラグトリフを農場から呼び寄せたほうがいいな。手配を……』
「いや、まだあの野獣を殺すと決めたわけじゃねえ。掃除屋はまだいいだろ」
『――いや、護衛の代わりに……』
『――おいおい、ジャン。まさか、おめえ、あのイカレ野郎を生かして帰す気かよ!?』
『――そういえば、部下から報告を受けたが……あのギャング野郎と、取り引きだと?』
「ん、ああ。まだハナシをしただけだがな。報告いってると思うが……」
『――バカな!! ヴァッファンクーロ!! ありえない、さっさと殺しちまえ!!』
「まてまて。殺すのはいつでも出来るだろ、あんたらが戻ってくるまで……」
『――本当に降伏するなら、ロックウェルから何らかの通告があるはずだ。それが……』
『――例の港の事故のあとにこれだ、ぜったい、何か仕組んでるに違いねえ!!』
……ああ、うるせー。
再び、受話器の向こうで慌ただしく声を張り上げる行かれる三人の幹部たちの声と、接続を確認する、ピ、ピ、という音が混ざって、ガリガリとスピーカーを鳴らしていた。
『――…………!! ……!? ……!!』
俺は受話器をいったん、机の上に置くと……。
「……ん、ンッグ……」
机の上に置き去りになっていた、飲みかけのコーラの瓶をラッパ飲み、イッキする。
そして、
「……げぇぇぇ、ップ」
『――!? ……!!??』
わめいていた受話器が、一瞬で静かになった。
「――カポのゲップをくらえ、このボーイスカウトどもが。……わるかったよ。勝手にあのキチガイを捕虜にして……俺だけで、尋問しちまってさ。すまねえ」
俺の声に……受話器の沈黙は続き、そして……ピ、という音がした。
『――いや、すまない。回線の接続に手間取って……少し、俺も頭に血が登ってた』
ベルナルドの声が、いつもの頼れる幹部筆頭の声が電気信号になって流れ――ボストン、そしてワシントンDCにいる二人の可愛い部下も、血圧を下げたようだった。
『――まあ、暗室に監禁してあるのなら大丈夫だな。いくらあの怪物でも、あの檻は破れないだろう。カンパネッラがそっちにいるな。あとでよくいっておくさ』
「ああ。頼むルキーノ。忙しいのに右腕を置いてってくれて、感謝してるぜ、チュ」
『――なんの。我らがカポの頼みなら歩くのに使わない足だって置いていくさ』
「カーヴォロ。……そういや。なんで、あの右腕くんはカンパネッラ、姓で呼ぶのけ?」
『――ン、言ってなかったか? あいつの名前が、ジャン、ジャンピエトロだからさ』
「なるほどなー」
『――世間話してる場合かよタコ、で、どうすんだ?』
イヴァンが、ピ、という音に重なるようにして声を張り上げてきた。
「ああ。そうだったな……。とりあえず――」
俺は、あの……暗闇の中、城壁のようにそびえて建っていた第5倉庫を……その奥底、閃光じみたライトの下で捕らえられていた、あの…………。あの、蛇の牙を思わせる鋭い目と、だらんとして唾液で光っていた舌を、思い出し……。
「……くそ。正直、俺、ぶるってるわ。とりあえず、イヴァン、あんたらがクリスマスに戻るまで、あの野郎は暗室にぶち込んだままにしておく。生かして。オーケー?」
――しばし、沈黙。そしてベルナルドが最初に、ピ、と鳴らす。
『――俺は、それに賛成するよ。今、殺しても手に入るのは気の早い安心だけだ。生かしておけばこの先、GDとの交渉に使えるかもしれないしね』
『――たしかに……何のために俺たちのシチュー鍋に落ちてきたか、きっちり歌わせてからでも遅くないな、豚の餌にするのは』
『――俺は、すぐブッ殺すべきだと思うぜ? いままで、あの野郎にどんだけ……』
「……わかった」
幹部全員が、正論を言っていた。迷っているのは、俺だけ……か……?
「ジュリオと通信ができないから、3票対2票で、電話による採決をとる。オーケー?」
全員が、ピ、と鳴らして沈黙の肯定をする。
「悪いな、イヴァン。4対1で、あのキチガイは生きてクリスマスを迎える――」
『――ああ。そんな気はしてたぜ。だけど、いいか!? 間違っても、もうお前だけであのイカレ野郎の前に出たりすんじゃねえぞ!? わかったか??』
俺は受話器に手を振りながら、わかったわかった、とウィンクし……。
「さあて。本題に入ろうか。兵隊から報告はうけたが……」
バサリ、机に並べられていた書類を俺はかき集め、言った。
「……やれやれ。今年の、クリスマス中止のお知らせ委員会は本気だな――」
『――ボルシェビキといっしょで、寒くなると元気になるのさ、連中は』
ベルナルドが、200マイル向こうで肩をすくめたのが眼に見えるように分かった。

……事故から1日経って、事態はさらに混乱、悪化していた。
……座礁した『コーラル・ベイ』を曳航する作業は続けられていたが、あの巨船は、埠頭に行儀悪く片膝をついたまま、びくともしなかった。
……しかも――最大の揚荷能力を持つ一番埠頭が使えなくなった影響は、デイバンの経済にじわじわと、深刻なひび割れを刻みこんで……いた。
荷揚げが遅延し、市場や取り引きに悪影響が出るだけでは済まなくなって、いた。
ベルナルドとルキーノが買った電線もそうだったが、年末の市場に滑り込むはずだった物資が海の上で文字通り浮いたことで、いくつもの取引が、会社が、破綻の危機に直面していた。
イヴァンがワシントンから送ってくれた貨車のおかげで、他の都市に送る重要な物資はぎりぎり、港から鉄路に載せられていたが……後回しにされた物資のリストが、さっそくデイバンの株価市場に悪影響を与え始めていた。
さらに……デイバンの足元に、凍った汚水のような影が――忍び寄っていた。

クリスマスを前にして、普段ならバーゲンセールで沸くはずの食料市場が、そして石炭の取り引きが――恐慌に、見舞われていた。デイバンの下町にある市場は、どこも絵で見た、ソビエトの市場のような有様になってしまっていた…………。

『――しかし、このままだと本当にクリスマスどころじゃなくなるな』
「……ああ、まじでやばい。このまま、入港予定だった石炭船がデイバンに入らないと、かなりお寒いことになるぜ。……なんとか、入港予定は変えられないか?」
『――すまない、ジャン……。今のところ、埠頭の使用予定はむこう36時間以上、がっちり詰まってて……隙間に差し込む余裕がまったくないんだ』
「そうか……。くそ、港を2万トンの油がふさいでて、たった数百トンの石炭が揚げられないとはなあ……」
『――そんなに、例のタンカーはガッチリ埠頭に食い込んでやがるのか?』
『――ああ。昨日も、デイバン港のタグボートを全部駆りだして曳いてみたが……ビクともしなかった。さすが2万トン級だ、普通のタグでは無理だな……』
『――同じクラスの大型船で曳くしかねえんじゃないか……?』
『――残念ながら、港湾法で、事故船を他の船が曳くことは法律で禁止されている。事故が連鎖するのを防ぐためだがな。もっとも……』
『――いまのデイバン港、近海には、あのビッグレディをエスコートできるだけの大型船は一隻もいない。最大でも、5千トンの客船がいるだけだ』
「……まっずいなあ。ルキーノ、例の大型タグはどうなった?」
『――ああ。予定では今夜……ああ、もう出港してデイバンに向かっているはずだ。もっとも……まだ天候が回復していない、クリスマスまでにつくかは……賭けだな』
『――俺の方は、NYの海事裁判所のほうは現状、平行線だね。ホワイトスター社は、デイバン市を訴えると息巻いてるが……あの様子からすると、2万トンの原油が手元にとどかなくて、かなり焦ってるな。たぶん……今年中に、あのタンカーを動かしてしまえば、おそらく示談に乗ってきそうな空気だ』
「……なるほど。くそ……結局は、ぜんぶ、そこか――」
俺は、いったん受話器を膝の上において、高い天井を見上げる。

あの船……座礁したタンカーさえ、動かせられれば………………。
デイバンは、例年通りの慌ただしくも平和なクリスマスを迎えられる、はずだ。
そう――あのイカレ野郎、バクシーも……。
なぜだろう、あの船を…………??そういえば…………倉庫? 下敷きになった、倉庫とか、あいつ…………。

「……そうだ、ベルナルド。あのタンカーが座礁して崩れたコンテナ、その下敷きになってた倉庫、あったよな?」
『――ああ。不法移民のホテルに使ってたやつだな。それが?』
「……その倉庫って、いま……カラ、だよな?」
俺の探るような言葉に、ルキーノの回線が答えた。
『――北極に雪は降るのか? 当然だ、俺の仕切りで、全員、移動させたんだぜ? 今、あのの倉庫で下敷きになってるのはネズミくらいのもんだろ』
『――写真を見た限り、全壊はしていなかったようだけどね。ところで、ジャン、なんでその倉庫のことが?』
「――ああ。たいしたこっちゃねえんだが……」
俺が、あのイカレ野郎との取り引き――いや、まだ約束もクソもないが――あのときのハナシを、どうやって説明しようか考えた時だった。
控えめなノックの音と共に、眼鏡のジョバンニ君が急ぎ足で執務室に入ってきた。
「……失礼いたします、カポ・デル・モンテ」
「おう。……すまねえ、たぶん親父からだ」
俺は受話器に言って、それを膝の上に置く。その俺の前に、連絡係の兵隊はタイプされた用紙を、何枚か置いて――お辞儀をしてすぐに立ち去る。
「……ドレ。………………ファック」
俺は片方の手で顔を覆い……もう片方の手で、受話器を取る。
「聞こえましたでしょうか。今の、ジャンカルロ、会心のファックを」
『――ばっちりと。シカゴの親父殿は、なんと?』
答えが分かっているようなベルナルドの声に、俺はメモに目を通しながら、話す。
「聞いてくれよ。あのエロガッパ、ガチで仕事してる。天変地異だ――神が降臨するぞ。……どうやら、どこかで情報がダダ漏れになってる。シカゴのビックボスどもの耳には、今朝のうちにもう、俺たちがGDの幹部を捕まえたことが伝わってたらしい」
『――やっぱりな。水漏れの穴には見当はつくな、おなじみのご老人方さ』
『――クソが、ジュリオに連絡とろうとすると、どうやっても役員会のジジイどもにバレちまうのがむかつくな! どうにかならねえか、ジャン』
「……すまね。ジュリオの立場をはっきりさせない俺の責任だな……」
『――その話は今度にしよう。要は……シカゴのご同業は、俺たちが抑えているあの野獣に、ショットガン・バクシーに興味を示している、と?』
「ああ。オヤジの聞き込み、というかヤマカンだな、こりゃ。どうも……あのキチガイ、シカゴのやくざと、なんか厄介ごとがあったらしいな」
『――そいつは意外だな。てっきり、GDとシカゴは同盟しているものだと……』
「オヤジの話だと、シカゴのいくつかの組が、もしウチがバクシーを抑えてるんなら、生きたまま引き渡せって――隠したりするとヤキいれんぞ、って感じらしいんだわ」
『――あのイカレ野郎、シカゴ相手にもなんかやらかしたクサイな』
「かもね。……あー、やばかった。あいつの頭、フッ飛ばさなくってよかったワァ」
『――ハッ、豚の餌にして知らんふりしてりゃ一緒だったろうけどな』
『――しかし、これで……あの野獣を生かしておく理由ができたわけだ』
「シカゴへの貢物か? あんまりゾッとしねえなあ。どうもあの街の奴らは好かねえ」
『――まあ、そのあたりのハナシも……クリスマスだ。俺たちが戻ったら、しよう』
「頼む。じゃあ……」
俺は、飲みかけのコーラの瓶をとろうとして……グラっと、視野が揺れたのを感じた。
……ヤバい、寝てないわ、厄介ごとだらけだわで――気を失いそうに、疲れてる……。
「ベルナルド、あのタンカーの船主をうまいこと転がしてくれ」
「ルキーノは、大型タグの入港予定がわかったらまた連絡を」
「イヴァン、おまえがDC入りしてくれて助かった。送ってくれた貨車、まじで助かる」
俺は、部下たちに礼をいい、指示を出して――
「ふう……」
――慌ただしく情報が乱れ飛んでいた電話機のスイッチを、切った。


□03:10 am December 23

「……クソ、頭イテえ……。そこらじゅう、痛え……」
気づくと、深夜の3時を回っていた。酷使した目と、ペンを走らせすぎてこわばった腕、受話器とベーゼしすぎて充血した耳、全部が……ズキズキと、嫌な痛みを放っていた。
いったい、あの電話のあとにどれくらいの数の要望書や書類に目を通し、そしてそこにデル・モンテと、自分のサインをしただろう。……まだまだ、終わらない……。
だが――今日は、クリスマスを二日後にひかえた今日は『まだ』寝られる。
朝の6時過ぎまで……いや、着替えと支度があるが……それでも2時間、寝られる。
「クソ……。目が覚めたら、あのタンカーも、イカレ野郎もどっか消えてねえかな……」
叶わぬ夢の話が、つい口から漏れるぐらい――俺は、まいっていた。
部屋のベッドで寝ると、まずい。2時間程度で起きるからかえって具合が悪くなる。
俺は、5時半に起こすように護衛に電話してから、執務室のカウチで横になった。
「……ッ……クソ……」
明かりを消して眼を閉じても……嫌な頭痛は消えなかった。酒かアスピリンを入れたくなったが、眠りを浅くするだけだとわかっているので――我慢するしか、無い。
「……ハハ、あいつらも寝てねえだろうなあ」
イヴァンあたりは、とくに寝られないだろうな……と、俺はぼんやり考えた。
ワシントンDC郊外の、おそらく雪が降っている危険な夜の操車場で罵声を張り上げて巨大な貨車を動かしているイヴァンの姿が、閉じた瞼の内側で見えるような……。
NYの消毒済みホテルで、苦いだけのコーヒーを舐めながら書類を書き、分厚い法律書に目を通しては眉間にシワを寄せているベルナルドの姿が……。
大西洋の荒波と、北海から押し寄せる氷の波濤が荒れ狂うボストンの港で、ゴム引きのコートに身を包んで船乗りたちに指示を飛ばすルキーノ姿が……。
そして――いまごろ、無力感と焦燥感に苛まされながら、電線も通じていない船の上で檻の中の狼のように憤っているジュリオの姿が……。
ベッドに横たわり、部下の報告に耳を傾けるカヴァッリ爺様。
シカゴの危険なやくざどもに囲まれていても、ガハハと笑いながら飲み屋をはしごする親父――
……疲労からくる幻想だろうか。そんな姿が、やけにはっきり……見える、わかる。
「……ファック……」
そしてその光景に――――カッコ、ガッコ、ガコッ……と…………。
閃光じみたライトの下、括りつけられた椅子の上で貧乏揺すりをするあの野郎の……。バクシーの、あの目と、犬歯と、哄笑が――俺の眼と耳と、そして鼻腔の奥にあの小便の刺激臭が蘇って…………。
「ッ……!!」
何度も、のイカレ野郎の姿をぼうっとした夢に見て――眠れなかった。
すぐ近く、本部の敷地にあのイカレ野郎、最悪の野獣がいるせいだとわかっていた。
いくら、拘束されていると分かってはいても…………。
「……くそ、なんてクリスマスだ…………」
俺はまっ暗闇のなかで吐き捨て、ただ――目だけを閉じ、横たわっていた。


□11:15 am December 23

「……くそ、見たくねえ光景だな――」
俺は、リムジンの窓の外を見……ゆっくり流れてゆくデイバンの街路、ダウンタウンの光景に、無力さと焦燥を胃のあたりにぎりぎりと感じていた。
「市庁舎の前には失業者たちが集まって、騒いでいるそうです。カポ・デル・モンテ」
「……クリスマスにデモ騒ぎか」
俺と、付き添いの兵隊を乗せたリムジンの後部座席からは、ダウンタウンのそこかしこで伸びている行列と、閉じられたシャッターの前に集まっている人々の姿が見えていた。
本来なら――クリスマスを、新年を前にして、雑多な商品や食料、石炭のカゴが歩道が見えなくなるくらい並べられているはずのダウンタウンの通りも……いまは、当てもなくさまよい、行列を作る、力なく灰色に沈んだ人々の影があるだけだった。
「……おい、いま……石炭、1ポンドで55セントって看板あったぞ。ボリすぎだ……!」
「市街では食料品と、とくに――石炭の値上がりが、不安を煽っているようです。木材や家の壁を盗むトラブルもおきていると……」
「そりゃ、このままじゃ凍死しちまうもんな……クソッ」
暖房の生暖かい空気が満ちているリムジンの後部座席で、俺は毒づくことしか出来ない。

あのタンカーが埠頭をふさいでしまっているせいで、荷揚げが出来ないせいで――港のクレーンや機材の使用予定は混乱し、重要度の高い工業製品や資材の揚荷が優先され、結果、デイバン市場の食料、燃料の値段は高騰してしまっていた。
港には、年末用の商品と、そして石炭を載せた船は何隻も浮いて荷揚げを待っていたが――それらの「安い貨物」の荷揚げの順序が回ってくるのは、このままでは早くても来年の中旬になってしまいそうだった。
しかも、最悪なことに……。
今朝方、電話でベルナルドから報告を受けたクソッタレ事態がデイバンを襲っていた。

「……他の街から、石炭を買っても無駄、ってことかよ!?」
『――残念ながら……。マイロード。あのタンカー事故の3時間後には、鉄道流通にのっていた石炭、石油の相場が5割、瞬間的に高騰した。現在は……23日の朝いち相場で、石炭の値段は3倍近くまで跳ね上がってる』
「……ファック、ちくしょう誰がこんなことを」
『……デイバンのピンチを嗅ぎつけた投機家たちが、クリスマスのシャンパンを1ランク上にしようと――ひと稼ぎしようとハエみたいに石炭の相場にたかってるのさ』
「せこい金持ちは死ねばいいのに」
『――投機は俺もしていたからね、耳が痛いよ。こっちでも動いてみたが、クリスマスと新年に間に合うよう、デイバンに石炭を仕入れようとすると……どうやっても、相場の倍から3倍のしろものを仕入れるしか無いね……』
「……そんな石炭仕入れても、その値段じゃ下町の人間には買えないしな……」
『――値段の高騰はかえって不安と不満を煽るからね。うちから持ち出すにしても限界がある、いちおう、イヴァンが動いてみると言っていたが……難しいと思う』
「……港には石炭をたっぷり積んだ船が浮いてるっていうのにな、クソ……」
『――あのタンカーを動かすこと、おそらく、それがたったひとつのクールな解決だというのは変わらないが……もんだいは、あのオデブちゃんはケタ違いだからね』
「24日の朝には、ボストンの軍用タグが4隻、デイバンに入るってルキーノから連絡があったよ。そいつで勝負してみるさ……!」
『――ああ、やってみよう。……だが、問題が、もうひとつ、追加だ――』
「……今さらひとつやふたつ」
『――頼もしいね。では遠慮無く報告を……。NYの海事裁判所に俺は、いま、半分住んでるんだが……どうやら例のタンカー、「コーラル・ベイ」をあと何ヶ月か、あの場に置いておきたい輩が結構な数、いてね。いろいろ因縁をつけられているよ……』
「?? どういうことだい、話が見えねえな」
『――ひとつ。船主のホワイト・スター社には当然、商売敵がいる。ふたつ、船主の中には、2万トンの原油を売る前に保険料で濡れ手に粟をしておきたい御仁がいる。みっつ、デイバンの苦境が金になる連中がいる。よっつ、俺たちが苦しめばコーサ・ノストラ東連合での立場と発言力が低下すると…………』
「……わかった。それ、九つくらいまで続きそうだな。このへんでいいや」
『――ああ、ご名答。現状はわかってもらえたと思う。……厄介なのがね……タンカーを曳航するのに他の貨物船とかを使おうとしても、港湾法違反を持ち出してきて、こっちが他の船を雇うのをじゃまする連中がいる。……ルキーノのタグも、妨害されるかもしれないんだ。そのあたりは……すまない、なんとかこっちも粘るよ』
「粘っこいのには定評のあるベルナルドだ、期待してる。……しっかし、クソ……! 人のクリスマスを台なしにすることが金になる連中、か。胸が清々しくなるな」
『――蛇の道は蛇。そういう人間のクズの扱いはおまかせあれ。……すまない、ジャンは、そちらで市長や議員たちとの折衝、あとは下町からの陳情を、たのむ』
「おう。市長に泣きついて、備蓄の食料と燃料を売ってもらえるよう頼んでみる」
『――我らがカポの、神業的なじじい転がしの手管に期待してる。では……勝負は、24日。ルキーノのタグ4隻で、あのビッグレディにご退場願おう』
「ああ。軍用タグってモーレツなんだろ? さすがに引っ張り出せるだろ」
『――そう思いたいが……2万トンだからね。積んでいる原油を少し抜ければいいんだが、残念ながらデイバン港にはまだ、原油を揚荷する設備がなくてね……』
「そーなのかー。まさか、ホースじゃぬけねえだろうしなあ……」
『――役員のご老人方は、船首タンクの原油を海に捨てろ、と息巻いているが……』
「そんなことをしたら海が汚染されるぞ! あのペンギンども、油まみれのデイバン港でイワシとってこさせるぞ、クソ」
『――同感だね。……どっちを向いてもブタカードな現状だが――頼むよ、ジャン』
「ああ。……今回もキッツいバクチだが――どのみち、降りられる勝負じゃねえんだ。みんなが戻ったら、まっさらにした第一埠頭でドラム缶バーベキューしようぜ」
『――楽しみだ。カニを買って戻るよ』
「卵持ったヤツも頼むぜ。市長の昼食会から戻ったらまた定時連絡する、アディオス」

俺は、ベルナルドからの報告がタイプされた書類を見、そしてまた窓の外を……。
「…………マジでやべえぞ、ここままだと――」
郊外に向かう幹線道路には、地方の農村から薪を売りに来たトラックや馬車が渋滞の原因を作って――そこで、口論や罵声がえんえん続いているのが見て取れた。
……東海岸、デイバンの冬は、寒波が来ればマイナス20度近くまで温度は下がる。
……このままだと――……苛立ちと疲労で目を閉じた俺のアタマの奥で……ガキの頃、もう顔も思い出せない母親が、バケツいっぱいの石炭を重そうに持って帰ってきたときの光景が蘇っていた。
……母親だったあの人は、そのときうれしそうに笑っていた。
……俺も、部屋が暖かくて、ストーブで温めたシチューがうまくて、笑っていた。
たしか、石炭はバケツいっぱいで5セント。俺の空き瓶集めで買える値段だった。
その値段は、俺がこの歳に、やくざのカポになってもあまり変わっていなかった。
それが…………。
「クソ、まさか――」
あのタンカーの事故、そして……あのイカレ野郎の、謎の降伏……。
もしかしたら、すべての厄介ごとは根っこがひとつかも知れない――と……。
「……拷問して、何か吐かせたほうがいいのかな――」
「はい?」
俺の物騒な独り言に、隣でかしこまっていた眼鏡の護衛がぎとっくこちらを見た。
「なんでもねえ。……あのキチガイめ……」
俺は目を開き、そして閉じて……。車が、目的地につくまで浅い眠りについていた。

□02:55 pm December 23

「――お留守のあいだ、シカゴから何度か、電話が……」
「親父じゃないな。向こうのやくざか?」
「はい、バラクーダ、というギャングの代表からです。伝言を――」
俺は本部の廊下を進みながら、あとに従う数人の兵隊から報告を受ける。
「バラクーダ? 聞いたことはあるが……ウチとは、とくにケンカも縁もない組だな」
「はい。そこの代表が、こちらで捕虜にしているGDの幹部を、引き渡せと」
「親父が言ってたヤツか。やけにご執心だな」
「口ぶりからすると、どうやらあのバクシーという男に怨恨があるようでした」
「そりゃそうだろ。あいつのことが好きな生き物なんて、地上に存在してるわけがねえ」
俺はエレベーターに乗り、執務室の階まで――何も無い、宙空に目を細める。
「……シカゴには、どのようにご返答を?」
「そうだな――」
あのキチガイもシカゴも、面倒な相手だ。面倒どうし、さっさと引き渡して知らんふりを決め込むのが賢い――それが、俺の頭の上を飛んでいる白いチビの言い分だった。
イカレ野郎を取り引きの材料にして、シカゴとの取り引きの材料にする――黒いチビのほうは、実にまっとうで現実的な言い分だった。
俺は…………。
「とりあえず、シカゴには知らんふりを決め込む。というか、連中の態度が気に食わね」
「わかりました。連中には、俺からあいまいな返事をしておきます」
「ああ、頼む。幹部が戻ったら――正式にあのイカレ野郎の処遇は決める」
エレベーターの扉が開く。
執務室に向かう俺に、
「失礼します、カポ・デル・モンテ。あの……少し、よろしいでしょうか?」
ん、と足を止めた俺の前に、ルキーノの部下が――巻き毛のカンパネッラが定規のように真っすぐ立って、俺に報告してきていた。
「……申し訳ありません、あの――捕虜にしている、ギャングのことなのですが」
「なにか、あったのか?」
「はい、それが……カポに、あなたに会わせろ、最後にもう一度交渉させろ、と……」
「なに?」
あいつが……? ………………クソ、あの顔を、目を思い出した――それだけで、背筋が汚い氷で撫でられたみたいに、ゾクッとしちまった……。
「最後ってなんだ、最後って。……ファック、交渉だと? まだ言ってやがるのか」
「たわごとだと思うのですが……いちおう、ご報告をと――」
「クソ……」
俺はどうでもよさげに、その男をおいて執務室に進み……数歩――
「くそったれ……!!」

イカレ野郎の哄笑、シカゴからの恫喝、そして……あのタンカー。
ダウンタウンの凍えた人々、からっぽの石炭バケツ、キラキラのパーティー。
昼食会で汗をかいていた礼服のデブども。なけなしのカネを握った行列…………。

「――まだ殺してないな?」
「は、はい? はい、拘束はしてありますが……」
俺の吐き捨てた声に、巻き毛のイケメンはぎょっとしたように目を動かす。
窓の外に見える冬の夕暮れは、紅みもささず、ただ灰色に暗くなる空だけが、あった。
「ハハッ、最後、か。わかってるじゃねえか――あのキチガイに会う、護衛してくれ」
「えっ……しかし――」
俺がくるりUターンすると、巻き毛君も、ずっと付き従っていた眼鏡君も、あわてて何か言おうとしたが――どちらにも、俺の行く手を遮るほどの胆力はなかった。


□03:10 pm December 23

5番倉庫の『暗室』に続く、無機質なコンクリがむき出しの廊下を進み、階段を上がる。
俺の履いている靴、そして兵隊たちの靴に打たれた鋲が床を噛み、乾いたリズムを刻んで――
……クソ、口が乾く、胃がキリキリする……。
……完全に縛り上げ、手錠までした相手に――あのキチガイに、だが俺はまだ……警戒していた。ありていにいえば……ビビっていた。
蛇が嫌いな人間が、リアルな蛇の絵を見たらこんな気分なのだろう――いくら、こっちが絶対的だとわかっていても……恐怖と、嫌悪感は消えなかった。
「ん? ……おい、そんなもの、さっさと処分しておけ」
俺の護衛をしていた眼鏡の男が、『暗室』の手前、ストレッチャーの上に放置されていた分厚い革のコートに目をしかめ、ヒラの兵隊を叱っていた。
――あのイカレ野郎から剥ぎ取った武装と、武器だった。
「……でっけえコートだな。車のカバーかよ」
足を止め、うんざりしたように言った俺に、ストレッチャーを運んでいた技術部門の兵隊が少し得意げに、報告した。
「最高級の馬革です、内側に防刃の細かいチェーンが縫いつけてあって……手榴弾と、ナイフが合計5箇所に隠されていました」
「戦車だな、クソッタレが。……そっちは――」
兵隊が持ち上げた革コートの下に……ゾッとするしろものが、あった。
「はい、あいつのホルスターです。これはたぶん、サイか何かの革ですね。散弾銃は2丁、どちらも10番口径水平二連で、ソウドオフされてます」
「でけえな、そのショットガン……ウチの武器庫にあるのとは別モンに見えるぜ」
「はい、おそらく――アフリカやアジアの植民地で、入植者が使っていた大型銃ですね。見てください、銃身の厚さとグリップが鴨撃ちのモノとは段違いです」
「……クソ、こんなバケモノで撃たれてたのか、俺は。……やっぱりあいつ殺すか」
「弾丸は市販のシェルが10発、真鍮の自家装弾……おそらく、一粒のスラッグか徹甲弾のシェルが4……」
「どうでもいい、さっさと片付けろ!!」
ジョバンニ兄貴に叱咤され、その兵隊は叩かれた犬のようにしゅんとしてストレッチャーを押していった。
「申し訳ありません、お急ぎのところに……」
「いや。仕事熱心なやつは好きだぜ。俺は」
俺たちは、『暗室』の前にいた兵隊の敬礼を受け、開かれた扉をくぐる。
そこには……昨日と同じ、ショットガンを持った見張りが二人――だが今日は、その二人ともが、憔悴し、明らかに苛立った顔をしていた。寝てない目が血走り、煙草とコーヒーで荒れた口から、嫌な臭いの息が漏れていた。
「ご苦労。――あのイカレ野郎の様子は?」
「はい、変わリはありませんが……」
「が?」
「……はい。……クソッタレ、あのキチガイ、一晩中、ずっと貧乏揺すりで椅子を鳴らしやがって、頭のおかしい歌を一晩中……」
「……ぶん殴ってもやめなくて――あんまり傷めつけるとマズイ、って兄貴に言われてたんで、しょうがなくて騒がせておきましたが……クソ、一晩中ですよ」
無精髭と疲労が汚した顔で、見張りの兵隊は大きなガラス窓にあごをしゃくる。
そこには……。
「…………」
あいつが、いた。昨日と同じ、椅子に括りつけられ、手錠をされた姿で――ありえないが……俺が来たのに気づいたかのように――こちらに、蛇の牙じみた、細く尖った目を向け…………笑っていた。
「オツカレ。今夜は交代していいぞ。……開けてくれ」
「は、はい――」
見張りは、鋼鉄の扉に手をかけ、錠前を外す。
重苦しい扉が開くと…………。
「……ッ、……」
その奥から、獣じみた悪臭が――すえた小便の臭いと、あのイカレ野郎の体臭が混じった刺激臭が漂い、俺の鼻を刺した。

「……俺に、ハナシ――最後に交渉させろ、だって?」
俺の言葉に、ガッコガッコと、耳障りな貧乏揺すりをしていたイカレ野郎は――
「ホウホウ。やっぱり来てくれたか。律儀なボスだな、見直したぜ」
貧乏揺すりは、ピタっと止まって……シンとした静寂の中、バクシーの声が響く。
「考えてくれたか? 俺との契約――あの下痢便詰まったクソ船を動かしてくれるか?」
「……昨日も言ったがな、イカレ野郎」
俺は身を屈め……目を刺すような小便の刺激臭に顔をしかめながら、言った。
「お前は無力な捕虜だ。さんざん俺たちを苦しめた、敵。その捕虜だ」
「ハハハッ、手加減するのはシツレエだからなあ。で、どうする?」
「――シカゴのやくざが、おまえを生きたまま欲しがってるぜ? おまえ、なにをした?」
「ホウ。ホウホウ、モテモッテだなあ俺。ハハッ、まあイタ公には関係ねえハナシだ」
「そうもいかないさ。こっちは、ただでさえごたついてるんだ。おまえのケツの穴をシカゴにさしだせば、少なくとも面倒のいっこはカイケツだ」
「そいつは――ラッキードッグ、あんたに任せるワ。俺は、あの船のハナシがしてえ」
「な…………」
俺は、ずっと頭の中でひねくっていた、このイカレ野郎を少しでも脅し、情報を聞き出すためのロジックがあっさり崩壊して……。
「ファック、このカボチャ野郎……!」
ガキみたいな罵倒しか思いつかず、小便の悪臭でイラついて、いた。
「まあ、いい――」
俺は、悪臭から逃れるように歩き……拘束されたバクシーの前で、靴の鋲を鳴らしながら行き来し……話す。
「あの座礁したタンカーは、明日、意地でもあそこからひっぺがす。それは、お前との約束とか関係なしに、だ。……クリスマスまでには、必ずやってやる」
「ホウ」
「お前が、それを契約だか何だか知らないが、そう思い込むのは勝手だ――どうせ、このあとお前は豚のエサか、シカゴのおもちゃか……どっちかしか無いんだ」
俺は、これまでの苦渋、こいつにやられた恐怖と怒りを、まとめてツバを吐きたたき返すような口調で、言い捨てた。
だが――
「マジ、だな」
「…………!?」
クソ、まただ……ケツの付け根から、背筋までゾワッとするような冷たい……声だ。
罵倒した俺が、ガキに思えるような――バクシーの、冷たく、そして腹の底からずんと響くような低い声が、俺の足を止めた。
「マジで、明日にはあのタンカーを埠頭から引きずり出すんだな?」
「……! あ、ああ!! やるさ、やってやる!! ラッキードッグの運をぜんぶ突っ込んで、天国からトイチで前借りしたって――やってやるさ!!」
……クソ、なに、俺はムキになってる……?そんな俺の前で――バクシーの顔が、あの線を引いたような口が……ニッと歪んだ。
「よし、契約しようぜ。俺も、『あんた』には向こう1年、手を出さねえからな。――――誓うぜ」
「な…………。……クソ、っ……!! ハハッ、いいさ!! 俺も乗ってやる!! じゃあどうする? サインの紙がいるか? 聖書でも持ってくるか??」
俺が、半ばヤケになって言い捨てたとき、
「……いけません、カポ、こんなやつと――誓約だなんて……!」
ジョバンニが、俺とバクシーの間に入るようにして俺を静止する。それに、他の兵隊の声もかぶさって俺を隣の部屋に引き戻そうとする。
「カポ、落ち着いてください……。こんなギャングのいうことなど――」
「……!! この汚い白豚が!! 武器もない、身動きもできないお嬢ちゃんが大口叩くもんだな!! 先にシカゴに、腕だけ送ってやってもいいんだぞ!?」
巻き毛のカンパネッラが、部下のショットガンをひったくり、その銃口をバクシーに突きつけながら恫喝する。
「おい、やめろ、まだハナシが――」
ガキのように過保護にされた俺が、ムッとして言ったとき――だった。
「……ハッ!! ハハァーッハァアアアッ!!」
「!?」
狭い暗室に、怪鳥の叫びのような哄笑が爆裂し、空気をつんざいた。
「こ、このキチガイ、が……!!」
カンパネッラが、ショットガンのポンプを動かして散弾を装填した。
だが、
「ハハァ!! この俺が、今の俺が――無力なお嬢ちゃんだと? 武器も持ってねえ?」
バクシーは、長い舌をだらんとはみ出させながら叫び、嘲笑をばらまく。
「ハラマキのちくわも見つけられなかったマカロニちんぽどもが笑わせてくれるなあ!? ハハハッ、おめえら――」
ガチャっと、バクシーの手で鋼鉄の手錠が揺れた。
「大事なカワイイ親分を俺の前に連れてきやがってよ――俺がまだ、エモノ隠してたらどうする気だよ? 廊下に立ってゴメンナサイでゆるしてもらえんのか、マフィアは?」
「な……なんだ、と!?」
「ハハッーッ! 俺のブーツは履かせたままだがヨゥ、どうせ、拷問の時に足の皮と一緒にひん剥くつもりだったんだろうがなぁ! こいつにも武器が隠してあったら? ラ?」
「……!?」
やばい、さっきから……完全に、このイカレ野郎に飲まれている、俺……。
やっぱり、さっさと殺すべきか、それとも…………。
――俺が2秒間、迷ってしまった時だった。
「い、いえ、カポ……! ブーツも、完全にチェックしました!!」
カンパネッラが、汗を浮かべた顔で俺に訴えた。それに、他の兵隊たちも首を振る。
だが。
「ハハハッ、ほんとうか? ほんとーにチェックしたか? もし……靴底が剥がれるようになってて、そこにナイフが入ってたら? ラ? ハハハッ!!」
バクシーの哄笑に、俺たちは――不吉で、不快なその音波に、思考を蝕まれてゆくような気がして…………後ずさってしまっていた。
その中で、ここの兵隊の中では最上位のカンパネッラが――動いた。
「上等だ、クソ……!! おい、ヤツのブーツを脱がせ、俺が……綺麗にしてやる!!」
俺がハッとしたとき――カンパネッラの手の中で、鋭利なナイフがバネで刃を開いていた。
「お、おい――」
「……すみません、カポ。……少し、こいつを静かにさせます」
「待て、まだ拷問は――」
「静かにさせるだけです、お待ちを」
巻き毛のイケメンは、バクシーの小便で濡れたコンクリを踏み、部下を呼んだ。
「ブーツを脱がせろ。足の皮ごと切っても構わん」
「で、でも、兄貴……」
「やれ!!」
兄貴分の命令に……見張りの兵隊は、俺と、そのカンパネッラという分隊長の顔を見、自分が拷問にかけられるようなツラになっていた。
「……かまわん。あとで水をぶっかけて、小便もながせよ」
俺がため息を付き、命じると――ホッとしたように兵隊が動いた。両側からバクシーの足に手を、ナイフを向け……ロープの拘束を膝の方だけ残しながら、ブーツの紐にナイフを入れる。
そのゾッとする光景の中――
「ハハッ、イタ公はカワムキがお上手ネェ、いつも自分ので練習してるのォ?」
「……ク……!!」
その嘲笑に、カッと顔を赤くしたカンパネッラが、部下を押しのけるようにして動き、バクシーの右足のブーツを、乱暴に引き抜いた。
「――ん……?」
カンパネッラの手が、目が――それを見ていた俺の目も、止まる。
「なん……」
ブーツから脱がされたバクシーの素足――やけに長いその足の指、親指が――ブーツの内側から伸びていた、なにかのヒモのようなものをつかんで、いた……??
「……!?」
俺の首筋に、ゾクッとしたものが走った。
「ハハァ!! ヴァァァアアアアアアカァ!!」
バクシーが吠え、叫び――その紐を、引いた。
その瞬間、

BAM!! Bushaaaaaa!!

「う、うわあああ!?」
「クッ、くあああ!!」
「わ、わ!? 火事……く……!!」
『暗室』の中で、何かが爆発した。
閃光と、そして灼熱感に俺は押し飛ばされ、顔を、目を灼かれてコンクリにたたきつけられた。もうもうとした煙が、俺の鼻と目と、喉をつまらせて呼吸を奪っていた。
「ぐ、ぐがっ、ご、ごはっ……!!」
「く、くそ……!! か、カポ……!!」
兵隊たちも全員、その爆発と煙に巻かれ、虫のように転がりのたうっていた。
あの――脱がされたブーツから、突き刺すような刺激臭のある毒煙が吹き出し、その煙幕は『暗室』を完全に白く埋め尽くしていた。
「クッ、くそ……目、が……ガ、ガハッ……」
俺は、上も下もわからない毒煙の中、肺を吐き出してしまいそうなセキこみと嘔吐にやられ……これが、あのバクシーの仕業だと、ヤツの罠にかかってしまったと気づいて――だが、声すら出せず、ただ……口と鼻から息を搾り出し、もがくことしか出来ずにいた。
「や……やば、い、やつが逃……」
声にならない声で、俺の喉が鳴ったときだった。
「……ッ!! オオオ、くお!!」
毒煙でかすんでゆく俺の目に、耳に……ミシミシと、椅子の木材が軋む音、そして――バキン!!と、鋼鉄が引き裂ける音が響き、信じられない姿が写った。
「……ば、馬鹿な――」
たちこめる煙の中、ゆらりと……猫背の、獣じみた長身がゆらりと立ち上がっていた。
「ハッ、ハハッ……!!」
その身体には、砕かれた椅子の残骸が、ちぎれたロープでへばりついていた。
……ありえなかった。いくら怪物じみた男でも、どうやって――
「……くお、クソ!! ……警報を!! ヤツが、逃げ……」
煙の中で兵隊が叫ぶ。俺は、刺されたように痛み霞む目を覆い、よろめき、
「だ、だれか……ク、クハッ……」
呼吸が出来ない、だめだ……意識が……――そのとき、
「ハハッ!!」
「……ッ!?」
誰かが、俺の身体を抱え上げていた。大の男の俺を、軽々と持ち上げ、猫のように襟首をつかんで――その怪力は、俺を引きずり、持ち上げていた。
「……っ、う……。カンパ…………?」
俺は、部下の名前を――だが、恐怖と酸欠で混濁した俺の意識、耳に、
「……か、カポ!! クソ、離せええ、このキチガイ!!」
カンパネルラの絶叫が、そして……ショットガンの轟音が、響いた。
「――な……!?」
息ができず、暗い闇に落ちて行く俺の意識が……最悪の現実に、気づいた。
まさか…………。
「――!! ハハァーッハァ!! おらあ、どけえええ!!」
イカレ野郎の叫びが、俺のすぐ近くで――抱え上げられた俺の耳元で炸裂した。
「撃つと大事なカポにあたるぜえええ!? ヒャ、ハアッハァアアアア!!」
バクシーの絶叫が、息ができなくなった俺の体を震わせ……。
「…………く、くそ……」
俺は、ガクンと――首を揺らし、真っ暗な世界に落っこちた。

□04:25 pm December 23

「――……ッ、グ……ガハ、ッ……」
息が、苦しい……詰まった鼻と喉が、押しつぶされたように、痛い。
その苦痛が、俺の真っ暗な意識の中で、最初に目を覚ました。
「……ふ、くッ……、ッ……? ぶ…………」
喉が、鼻が苦しい――その痛みに、別の苦痛、違和感が重なる。

ブジュ、っというような……何か、粘液質のものが潰れる音……?
意地汚く、スープをすするような……ズルッと、何かを吸い、飲み込む……音?
その音がするたび、俺は苦しく――そして、しだいに楽、に……?

「……っ、ぐ! ぷは!! っ、はあ、はああ……!!」
ずきんと、気管と肺が痛んだ。窒息し、熱を持っていた肺に、新鮮な空気が流れこんで、その冷たさと甘さに俺は喘ぎ、口をパクパクと動かす。
「はあっ、は……ああ、はあ……」
…………。
……俺は、いったい……? 溺れてた……??……くそ、まだ喉と鼻が痛え……。いや、目が、目の方はもっと痛い、あけられない。
「く、くそ……。う、う……? なん――だ…………」
ケツが……痛かった。なんだ……足の付根が、ゴツゴツと……痛い。
「な……どう、なってや……が――」
目が、痛くて開けられない。真っ暗闇の中……俺はぼうっとしたまま、手を――
「……く、そ……」
その俺に、
「動くな」
「……!?」
耳元で――ほんのすぐ、生暖かい気がかかるほどの耳元で、ゾッとするほど低い声が響き、俺の手を止めていた。
「な、な……!?」
瞬間、俺の頭の中で火花が飛び散った。
「……!! く、くそ……!! キチ……」
そうだった、俺は……!! 拷問にかけようとしていたイカレ野郎の罠にっ引っかかって、何かが爆発して、その煙で…………。
あの野郎は、俺を弾除けにして――逃げ……?? じゃあ――
「この野……」
「――騒ぐな」
「……ッ」
俺の喉元を、ぐいっと――棍棒でねじ上げられるような圧力と、固さが押しつぶした。
「ぐ……! て、てめ……ガハッ……」
首を押さえられてはいたが、気道は潰されて……いない。俺は、罵倒の代わりに窒息で失われていた酸素を吸い、息を吐……くそ、今どっちだっけ、吐いて……。
その俺の頭上で、
「フン、息できるようになったか。……ん? ばぁか、鼻で息しろ。過呼吸ンなるぞ」
「グ、ぶ……な……?」
やけに冷静な、あのバクシーの野郎の声がして――俺の顔面に、生暖かい息がぶわっと覆いかぶさった……と思ったときに、
「ぶ……っ?」
最初――何が起こったのか、わからなかった。そして……。
「ぐ……ぬ、ッ……!? ば、ば……!?」
口は、動いたが……まともに声は出せない。
俺の鼻に、チカッと犬歯の刺さる感覚、そして――熱い粘質の……口がみっしりへばりつき、鼻に奥に溜まっていたガスでただれた粘液を吸って…………いた……。
「く、くあ……! やめ……こ、キチガ…………」
「……んがんぐ。……ぷは。手間のかかるワンコロだ。ああ、催涙ガス食らったことねえのか、おめえらイタ公はよう」
「な……?」
「喉にたまったのは先にとっといた。今度ガス食らったら、てめえで吐かねえと死ぬぜ」
な……何を、言ってる、このキチガイ……?
「っ…………」
目が、ビリっと痛んで……だが、片目だけがわずかに開く。……暗い…………。
涙がにじむその目に、真っ暗な影が――獣みたいに巨大な影に、灰色にギラつく目が、真っ白な牙が、見え……。
「う、わ……! やめ…………」
また、あのイカレ野郎が俺の鼻に噛み付いて――鼻をつまらせていた粘液を吸って……。
「ン……。こんでいいだろ」
「な……な!? こ、の……キチガイ、なに……飲んでやがんだ……!?」
「バァカ、吐いたら下を通ったやつにバレるだろうが」
「え…………」
まだ、万力みたいな力が俺の喉を抑えている――俺は、まぶたが動く片方の目で、怪物のように巨大なバクシーの影と、そして……周囲を…………。
「な……なん、だ――」
向こうに、ほんの数十メートル向こうに見慣れた本部の倉庫が見えた。見える世界がやけに真っ暗なのは、周囲にモミの木の枝がある、せい……? ここは…………。
「おう。まだてめえらのお庭ン中さ。っと、動くな――落っこちるぜ」
「げ……?」
周囲を、下を、見てしまった。暗い針葉樹の樹の、茂った枝葉の中。外壁沿いに植樹されたモミの木――そのずぶとい枝の上に、バクシーは俺を抱え、へばりついて……いた。
そして……地上からの高さを見て、ゾワッと俺のアタマから血が引いた。
「く、くそ……どうな、って――ッ……」
「無理に目ェあけんな。ったく、しょうがねえ――」
「っ……う、ウ!? が、う……!!」
もう片方の手が、俺の額を、まぶたを押さえ……嫌な予感がしたその時には、生暖かい気色悪さが、俺の目を……なぶって、激痛を嫌悪感と鈍痛で撫でていっていた。
「き、キチガイ、が……! ぐ、痛え……、く……」
「……ン。ホントにしょうがねえお姫様だな、オイ。ガスが焚かれても、目も閉じねえわ息も止めねえわ。おめえらイタ公がこんなヌルイ連中だったとは」
「ぐ……う、うるせえ……!」
屈辱と嫌悪感、そしてアタマが燃えそうな憎悪、情け無さ――反抗する言葉も満足に見つけられずにいる情けない俺は……だが、現実はそれよりも最低だった。
俺は……自分の本部で、家の庭で……このキチガイの捕虜になってしまっていた。
しかも……鼻水を吸われ、目ン玉を……くそ……何がしてえんだ、この……。
「おし、おわり。あとでちゃーんと目ェ洗えよ。失明すっぞ」
「……ぐ……。き、きさま……どう、する気だ……?」
「どうもこうも。もう少しして真っ暗ンなったらずらかるさ――」
「逃げられるとでも……」
言ってしまってから……俺は、自分が丸腰で、死にかけで、この野獣の人質になってしまっているのに気づいてしまう。
その俺の耳に、遠くで走ってゆく何台もの車の轟音、兵隊たちの叫びが……響く。
「ハハハ、おめでてえなあ。おめーの可愛いトランプどもは、俺がおめえをさらって、そのまま外に逃げたと思い込んでやがる――」
「く…………」
「おっと、声出すな。――まあ、おめえ連れて逃げるとき、最初にゲートぶっ壊したからまんまと引っかかったんだなコレが。あー、笑えるぜえ」
……くそ……!! 完全に、俺は、俺の組織は――この獣に翻弄されていた。
「しっかしアレだな。おめえらイタ公はよ、あの4人の幹部どもがいねえとしまらねえな。兵隊ども、あのアマちゃんぶりは何だ? ハハハ、俺がコーチしてやりてえぜ」
「……く……。きさま、最初から逃げるつもりで、俺たちに……?」
「おう。まあ、予想より楽すぎてここでオナニーする余力があるぐらいだったけどな! だいたい、アメえよ――」
まだ痛む俺の目に、ニヤァとでかい口で笑い、犬歯を剥き出すキチガイが写る。
「俺をとっ捕まえて手錠したのはいいが、監禁したときにもっと頑丈なのに付け替えねえのは駄目だったな。しかも、素っ裸にしねえ、俺が木の椅子を小便で濡らしても気にしてねえ――シロウトもいいとこだ」
「……!? じゃあ、きさま――わざと、漏らして……」
「木は濡れると脆くなるし継ぎ目が割れやすくなるんだぜ? おきれいなイタ公は、俺が漏らしたションベンに触るのが嫌で、手錠も変えねえし貧乏揺すりも止めさせねえ」
「…………」
暗闇が来るのを、猛禽か獣のように待つバクシーが、愉快そうに俺の耳に吹き込む。
「捕まった時から、ずっと手錠をねじって鎖をヒヨらせといたんだ。でなきゃ、さすがの俺でもいきなり手錠は壊せねえからな――ハハハ、種明かし終了だァ」
「く……。くそ、ッ…………」
俺は、遠くを行き交う部下に叫びたいのを、必死にこらえ……。
「俺を……どうする気だ……?」
俺は、最悪の結果にアタマと胸の奥が真っ黒になりながら、吐き捨てた。
だが――バクシーはけちょんと、
「はあ? なんだ、ここでレイプでもしてほしいのけ?」
「は……。ッ、この……キチガイ、が……!!」
「おおお。おおお~。今頃気づいた。ふしぎ! 俺いま勃起してるわ、ホラ」
「わ、わ!? 見、見せ……キチガイが……!」
俺は、喉を押さえられたままジタバタとあがく。……首筋に、死とは別の、最悪の連想が走って毛を逆立てていた。
「ハハァーハッ、まさかこの俺が野郎の目ン玉と鼻水なめて勃起するとはな~。アアン、ママ、ボクどうしちゃったのかなあ。病気なのかな~おちんちんが~」
「う、う……うる、せえ……! まさか、てめ――……!?」
目の前が真っ黒になりそうな声が出てしまった俺に、バクシーがあざ笑い、
「ああん? この俺がホモセックスなんて言う非生産的なことすると思ってんのか? ……あー、でもそうか、即レイプしたあとでハラ掻っ捌くのと変わんねえんじゃねえの? あー、どうすっかなー」
「ぐ……! やめ……このキチガ……」
……ああ、くそ、一体、この野郎は……!?
……捕虜にされ、ここで殺されるか、あるいは連れ去られ――最悪の連想しかなかった俺の目の前で、キチガイ野郎は嬉しそうにバカなことをベラベラと……。
そのバクシーが、ふっと俺から手を離した。
「な……」
「さあて、そろそろ行くわ。じゃあな」
「じゃあ、って……。な、おまえ――俺、を……?」
あやうく、身体がよろめいて枝にしがみついた俺の目の前で――真っ暗な針葉の中で、バクシーの姿が……巨大なフクロウのように、別の枝の上に跳ね、そこで立っていた。
「言ったろ。俺は契約を守るぜぇ。そっちも期待してっからな、イタ公」
「な……。ま……まて、よ……」
「現状、俺は約束守ってンだろ? おめえも生きてる、お間抜けイタ公の坊ちゃんたちは、誰一人殺してねえ――ハハハ、ぶっ殺すより手間だったぜえ?」
「……おま、え――」
「明日中に、あのクソタンカーをどかしてくれ――約束だからな」
俺が何か言う前に――真っ黒な影は、ザザッと枝を揺らし……消えた。
一瞬、本部を囲む外壁、その上を走る高圧線にバチ!!と目がくらむ閃光が走った。
まさか――あのキチガイ、ひっかかった!? そう思った瞬間、閃光が消えたあとの暗闇に、それよりも黒い大きな影が疾って…………そして、消えた。
「……ナイフで、電線を切りゃあがった……」
何が起こっているのか――自分がどうなっているのか。
すべてが信じられなくて、すべてが悪い冗談のようだったが…………。
「くそ…………」
痛む目を閉じ、開けてみても……サイテーの現実と俺が、そこにあった。
「――あのキチガイ…………! ……おおお――ーい、俺だ、ここだ……!!!」
木に登って降りられなくなった猫のような有様で枝にしがみつく俺は、地上までの高さを見て、自力で降りるのをあきらめて叫ぶ。
何度目かのニャーンで、暗闇の中を走っていたライトの閃光と兵隊たちが俺に気づく。
「……か、カポ……!?」
「あ、あそこだ……!! 木の……上に!?」
「まて、まだあのギャングが!?」
大騒ぎなって駆け寄る兵隊たちに、俺は情け無さで泣きそうになりながら叫んだ。
「あのイカレ野郎は逃げた! ……ハシゴ持ってきてくれ……!」


□07:15 pm December 23

本部づきのドクターが洗浄をしてくれたおかげで、目も喉もだいぶ痛みは引いていた。
「――…………」
着替えた俺は、本部の執務室でデスクにつき――
「もう、ベルナルドたちには連絡を?」
デスクから離れた位置で、出来の悪い蝋人形のように血の気を失って立っている兵隊を、幹部たちが残していった生え抜き、エリートの分隊長クラスたちに、言った。
「……はい。カポを救出し、無事、ということも伝えました……」
「そうか。前使った、いっぺんに話せる回線はあとどれくらいで使える?」
「……はい。通信室の方に、設置しております。あと10分ほどで……」
「そうか」
俺はそれだけ言って――数時間前まではピカピカだったエリートたちを見る。
ジョヴァンニとか言うベルナルドの右腕は、落第したハイスクールの学級委員長といった外見で、がっくりと生気を失っていた。
カンパネッラは、ルキーノの部下のイケメンは、バクシーの逆襲を受けたときのまま、焼け焦げたスーツを着替えず、ガスでやられた片目を包帯で巻いていた。
ほかの兵隊たちも、完全に、文字通りの死に体――……そりゃそうか。
幹部たちに命じられて、カポの護衛をする任務で……よりによって、捕まえて拷問室に押し込めていたはずの敵にまんまと逃げられ、しかもカポを拐われて…………。
「ふう…………」
報告を受けたときの幹部たちと、そして報告した彼らの有様を想像したら、俺の胃のほうが痛くなってきた。
俺は、席を立ち――執務室の中を進み……いくつかの目が俺を負う中、口を開く。
「情けないったらないぞ、諸君」
誰も、それに答えない。ジョバンニも、カンパネッラも、ほかの分隊長も、みんながもう――豚のエサか、あるいはデイバン湾の泥の中か、二つの選択肢しかないというツラで死人のようになっていた。数時間前までの、輝ける未来を生きる青年たちが、一瞬ですべてを失っているのは…………なかなかに、壮絶な光景だった。
「情けない――」
俺はもう一度、言って、そして自分の胸を叩いた。
「俺は生きている。そうだな? ――無傷で、生きてるな? おい、答えろ」
「……! は、はい。……ご無事で、なにより……」
俺に命令され、ジョバンニがビクっとし、眼鏡がずれたままで答える。
「なんで俺は生きてる? カンパネッラ、答えろ」
「あ……。あ、あの、あのギャング野郎が……その、逃げて……」
「違う――」
ああ、むかつく。部下にじゃない――こんなクサいフリで、お芝居もといおままごとで自分の情け無さをごまかそうとしている自分に、ムカつく……。
「俺が生きてるのは――ああ、クソ!! クソ、ヴァッファンクーロ!! メルダ!! なんてこった、クソ! あのギャングは、キチガイ野郎は契約を守ったぞ!!」
「…………??」
ドン、ど俺の手がマホガニーのデスクを叩き、死人どもはハッと生き返る。
「あの時、俺が――あのキチガイとした契約、宣誓。それを、よりによって……先に、先にだ!! 先に、あいつが約束を守った!! だから俺はここで生きてる――この恥!! これをそそぐにはどうすればいい!?」
答えろ! という俺の声に……カンパネッラと、ジョバンニが同時に口を動かす。
「……あいつを、今度こそ殺…………」
「――こちらも、契約を守る……」
「ハイ、そっち正解。俺たちは誇りを重んじるコーサ・ノストラだ。なのに、よりによってアメ公のギャングに先をこされた――倍返しにしてやらねば名誉に傷がつく」
「では……カポ?」
正解を引当て、少しだけ生気を取り戻したメガネ君が(眼鏡はズレれたままで)言った。
「……では、あのタンカーを?」
「ああ。元から動かすはずのものだが――もう後戻りも失敗もなしだ。これは俺達の誇りの問題となった……! 証人は……諸君、お前たちだ」
「…………!」
全員の目に、少し生気が戻っていた――あのタンカーを動かすまでは、生かしておいてもらえるかもしれない、という……見てると泣けてくる、生への渇望、目の輝き。

ああ、クソ……!! 本来なら、俺も含め、ここにいる連中は全員名誉を失ってこの世から消えるはず――少なくとも、兵隊のこいつらは絶対に許されず、死ぬはず――だが。
……クソ!! よりによって、あのキチガイに正論で諭されるとは!!
あのバクシーの言うとおり、この兵隊どもは甘すぎた。そして、失敗した。
それを罰するのは簡単だが……。一番のアマちゃんの俺が、その決定を??

「忙しくなるぞ、クソ。あのタンカー、ルキーノのタグで動けば――」
「で、では……我々への、制裁は…………」
おそるおそる言ったカンパネッラに、俺はチンピラの喧嘩みたいに眉をしかめる。
「ハァ?」
「え……その、自分たちは任務に――失……」
「あのキチガイを逃がしたのは、現場にいた最高責任者の、俺の責任だろうが」
「しかし……自分たちは隊長から、命に変えてもあなたをお守りしろと……」
「お前たちを殺したら、俺のうけた恥が消えるのか? 誇りは守られるのか? ――それともなにか? 俺に、部下たちに責任おっかぶせて殺して口封じした、薄汚い卑怯者のシール貼って半額セールに出す気か? 俺に、さらに恥をかかせると?」
「い、いえ……! そんな――」
俺は、連中に背を向け……情け無さと恥ずかしさで汗が出ている顔を背け、この席に来るまでに考えていたセリフを半分忘れながら……なんだよクソ半額セールってよ……かっこわりい――俺はアドリブで、宣告する。
「今回の事件において、すべての責任は俺にある。俺以外は誰も処罰を受けない。それをここに、カポ・デル・モンテの名において宣言する――おい、ちゃんとメモれ。あとでタイプにして幹部の人数分と俺のぶん――ああ、6部つくっとけ」
「……え……」
俺の背後で、パァとブッダのロータスが咲いたような……だが、迷いのある声が響く。
「し、しかし……自分は、隊長たちに合わせる顔が……」
「だったら自分だけで後悔して、二度とポカらねえようにしろ。もう宣言したぞ――お前たちに処罰おっかぶせるやつがいたら……幹部だろうと役員だろうと、ケツの穴にカーバイド突っ込んでランプの代わりにしてやる」
「……か……カポ…………」
「じ、自分は……」
「……心、洗われました……! 死すともお側を離れません……!」
俺の背後で、泣き崩れそうないくつもの声……。
なんか大げさなやつがいるな……。カンパネッラか。ははあん、あいつ、馬鹿だな。
振り返るタイミングが……むずかしいな……。
だが――俺はラッキードッグだった。

Jiririririri……

俺のデスクの上で、内線専用の瀟洒な電話機がベルを鳴らしていた。
「なんだ――」
俺はホッとして、受話器をとった。一泊おいて、通信室の交換手の声が響く。
『――失礼します。ボンドーネ幹部からお電話が入りました』
「お~、ジュリオか。すぐ繋いでくれ」
受話器を耳に当てたまま、俺は起立していた兵隊たちに手を振って休めさせる。
そして、ふと……。
「え? ジュリオ……船で、って……?」
確か、ジュリオは南米から船で移動中で……だから、この事件の最中も音信不通――俺がその疑問を交換手に言おうとしたとき、
『――……ジャン、さん……?』
受話器から、少し遠い感じの――だが間違えようのないジュリオの声が響いた。
「……ジュリオ?」
『――ああ…………。あ、はい、ジャンさん。俺です。しばらく連絡ができなくて……すみません、遅くなってしまいました……』
「いや。気にすんな~。……って、この電話。どこかに寄港してるのかい?」
俺の問に、ジュリオは少し笑って――見えないけどわかる――言った。
『――いえ、バージニア沖で船を乗り換えました。いま、その艦でデイバンに向かっています。明日の朝には……』
「おお、そうか。……って、船? おい、これウワサのエーテル霊界通信か?」
『――あ……い、いえ、すみません……。その、艦の無線機で、電話に経由を……』
「無線? おお、すげえ! コレがそうか、無線通話か~。そういやベルナルドが自腹で専用の車両作ってたなあ。そっか、マンガの世界だ、すげ~」
少し舞い上がってしまってから、俺はハッと部屋の面子に気づいて声を落とす。
「えっと――ジュリオ、デイバンの有様は……伝わってるか?」
『――はい。フロリダの港で、通信を受け取りました。……すみません、勝手に動いてしまいましたが……独断で、速力が出るこの艦に乗り換えました』
「いや。ジュリオが来てくれるんならありがたい」
言っては見たものの……あの二万トンの化物の座礁には、たとえジュリオでも為す術は――そう思った俺の耳に、静かな報告が続く。
『――ルキーノとベルナルドには、先に電信でこのことを伝えました。明日の10時、デイバン港で座礁したタンカー、コーラル・ベイを離礁させる作戦に移ります』
「おお……!!」

人間の頭の中には、何セットかのレコード、そしてラジオが入っている。
ジュリオからの電話をもらった時から鳴っていた前奏が――あいつの声で、俺の頭の中でファンファーレが、そしてハイなサックスが音を鳴らした。

「そうか!! ルキーノのタグボート、あとジュリオの乗ってる船で引っ張れば……!」
『――はい。作戦名は「アンドロメダ」……。……と、ベルナルドが……』
「ア、ソウ。うん、いいんじゃないカナ。……行けるぞ!!」
『――必ず成功、させます。ジャンさん、あと少し……待っていて、ください』
「おう。留守番は任せろ――じゃあ、明日。デイバンで会おう、ぜ?」
『――はい。……それと…………』
急に低くなったジュリオの声に、俺が、ん? となったとき――
『――あの狂人を、バクシーを捕虜にしている、と……』
「あ……あ、うん。その、ね」
『――くれぐれも、ご注意を。決して、ジャンさんはあいつの前に行かないでください』
「……あ、ああ。…………サンキュ、ジュリオ」
『――……すみません、出過ぎました……。……失礼、します……』
プッと回線が切れる――
「…………」
タイミング的に、ジュリオだけには、バクシー脱走の件は伝わっていなかった。
……俺はジュリオに腹の中で謝りつつ……あの野郎に逃げられた事態をジュリオに説明せずに済んだ、その幸運?に感謝していた。
「さて、諸君――」
俺は、整列する部下たちの方に振り返って、言った。
「明日にはボンドーネ幹部も到着する。忙しくなるぞ」
兵隊たちが敬礼する中、通信室から回線の用意が整ったと報告が入る。
「あ、くそ、そうか――8時からホテルでパーティーか……車の支度を先に――」



□11:40 pm December 23

「……くそ、なんか食ってくればよかった――」
パーティーの会場から、本部に、執務室に戻った俺は、市長主催のパーティでぐったり疲れた身体をデスクに沈めていた。シャンパンの乾杯攻め、お愛想笑いの繰り返しで、また目の痛みがぶり返してきていた。
執務室の中では――書記役の兵隊が二人、パーティーの前に10分間、ベルナルドと、ルキーノ、イヴァンと通話した電話会議の内容から抜粋しつつ、タイプしていた。
……バクシーの脱走と俺の誘拐が伝えられていた幹部たちは、回線がつながった途端に大混線状態の中で俺を叱り、心配しまくったが――
「カポ、通話分のタイプ3部、終了しました」
「ああ。そうだ、電信で来てたほうも頼む」
「了解しました」
今、タイプを打ってる兵隊――名前を知らないまだ若い兵隊――が通話中、俺の背後で制限時間が30秒進むたびにそれを俺に報告し――それが幹部連中にも聞こえたおかげで、開始2分後には普通に会議ができるようになっていた。
こいつは使える。あとで名前を聞いておくか……。俺は、書類に目を通しながら、
「ベルナルドからの報告……。くそ、NYの石油会社がごねてるのか?」
「はい。ホワイトスター社とは別系統の会社が、別の船舶でタンカーの離礁を試みた件について港湾法違反で告発の用意を進めていると。オルトラーニ幹部からの報告です」
眠くなるようなリズミカルなタイピングの音に、その報告の声が乗る。
「ファック、そうまでして商売敵潰して、カネ稼ぎたいもんかねえ。いやだいやだ」
うんざりして答えてから、俺は気づく。
「そうか……。明日、ジュリオの船でカシオペア作戦をやるにしても、そいつらが――」
「アンドロメダ作戦です」
……ベルナルドの部下だな……。
「……んで、その作戦をやるときにもそいつらがインネンを付けてくる危険があるわけか。……離礁させちまえばこっちのもんなんだが……。ルキーノはどうなってる?」
「グレゴレッティ幹部は、オルトラーニ幹部とNYで合流、飛行機でこちらに戻ります」
「オッケー。イヴァンからは?」
「DCをもう出発したようです。明日には、デイバンに到着する予定と報告が」
「エクセレンテ。……明日には、CR:5再結成か。記念コンサートでもすっか」
「会場の手配をいたしますか?」
いいギャグだ――俺がビールを奢ってやりたい気分のところに、執務室の扉が開き、別の兵隊がストレッチャーを押しながら入ってきた。
「げ……。そいつは……」
ワゴンの上には……使い込まれて黒光りした革のホルスターと、突き刺さったどでかい散弾銃が――なぜか、罪深く使い込まれた男根を連想するそれが――あった。
「これですが、廃棄処分してもよろしいでしょうか?」
「……ああ。そうして……」
わざわざ見せに来んなよう、と俺が頭の上にこんがらがった線を――だが、俺は……。
「まて。そこにおいておけ。爆弾は仕掛けられてないだろ?」
「え……? はい、はい、危険はとくに――しかし……?」
「……いや。あの狂った獣をぶっ殺すときは、自分のエモノで吹き飛ばしてやるのさ」
俺は、テキトーな思いつきを口にして部下を下がらせた。
「…………」
――なんで、捨てなかったのだろう?
俺は自分の思いつきに答えを出せないまま、再び書類を確認する仕事に戻る。
「カポ、鉄道会社への石炭買い付けですが……相場が高騰していて、難しいと」
「ああ。それもあったな。あとは――」
「教会から、救済炊き出しへの支援要請が来ています。資金と護衛を、と」
「どこの教会……。ああ、聞くまでもなかった。護衛ぐらい自分でやれあのゴリラ」
「市役所からの内通です。沖合で待機している船舶から要請で……」
「うおー。まさかヤクザが市役所の一部門引き受けるハメになるとは」
その夜は――バクシー脱走の混乱で無駄にした数時間を取り戻すために、いくつもの予定と、そして俺のわずかな睡眠がキャンセルされ、事務仕事が果てし無く、続いた。



□09:10 am December 24

夜の間降り続いていた雪は、朝日が昇るのと同時に降り止んでいた。
――何たる幸運。いい幸先だ。
そう思って本部を出発した俺、そして部下たちだったが…………。
「なんじゃあ、こりゃあ……」
デイバン港の入り口に当たる市道からの三叉路で、最初のその言葉が俺の口から漏れた。
俺を乗せた装甲フォードの窓からも、人々が作る壁が、流れない雑踏が見えていた。
「なんでこんなに人が集まってるんだ?」
助手席の護衛が、報告を受けていたのよりもひどい現地の様子に狼狽していた。
「……どうやら、野次馬に――港湾組合の委員たちの一部が、デモを起こしていると」
「作戦が漏れたか、こりゃ……」
――今日、あのタンカーを動かす大仕事が始まる、と……。
「はい……。おそらく、ホワイトスター社と敵対している企業の差し金もあったかと」
「カネは命より重いな……。デモ隊を埠頭に入れないよう、兵隊を集めておいてくれ」
しょっぱなから嫌な予感がしていた。
他の車両に載っていた兵隊たちが、野次馬を押しのけようとしたが、俺はそれを制止しドアを開けさせた。
「かまわん、このまま埠頭まで歩こう」
「しかし……」
俺は反論を聞かずに、フォードを降り――
「なんじゃ、こりゃ……」
2回目。野次馬、というより――今日、あのタンカーが埠頭を離れ、ガントリークレーンが使えるかどうかが死活問題の連中が、おそらく今日の石炭ももう無いような人々が、貧しい姿がみっしりと、港を取り囲んでいた。
俺をうんざりさせたのは、その人々ではなく、雑踏の足と体温がぐちゃぐちゃにした泥と雪の残骸だった。靴が埋まるその汚いシャーベットの中に、俺はしぶしぶ靴を差す。
「ああ、そうだ。そのバッグを寄越してくれ」
俺は、座席に放り投げておいた軍用バッグを護衛から受け取った。
――重い。やたらと重い。
そのバッグの中には……なぜか、なぜか理由もなく持ってきてしまった……。
あのイカレ野郎、バクシーの散弾銃が突き刺さったホルスターが隠してあった。

俺は、港に集まった人々――集まっただけで、なすすべなく海風になぶられている人々を潜りぬけ、埠頭に向かう。
「……ひでえ泥だ。無線車両はどうなってる?」
「はい、集荷場に待機させてあります。回線はすぐにでも開けると報告が」
「エクセレンテ」
俺は、付き合わされた不運な護衛と一緒に泥濘の中を進む。その俺たちに……貧しい姿の人々の目が、囁きや陰口、小さな罵倒が飛んできていた。
「……プレッシャーすげえ……」
みんな、ダウンタウンや、郊外の貧しい住宅に住んでいるような人々だった。切れるだけ着込んで、ボロ布を身体や靴に巻きつけた人々は、東海岸のアメリカ人というよりどこか極寒の地の原住民のようで……。
ところどころに、屋台や物売りの姿まで見えて、さすがにファッキンな気分になる。
「くそ……。見せもんじゃねえぞ! ってのはこういう時に使う言葉だったのか……」
さらに、その向こう、
「……! 犯罪組織……横暴を……許すな――……!!」
人々の向こうに、そこだけ真っ黒く見える集団――そこからとぎれとぎれに聞こえてくるアジは、ベルナルドにくっついて仕事をしていたときになんども見た、組合……労働運動のデモ隊を煽るときのそれだった。
「……くそ、ベルナルドが居てくれたら先に鎮火できたのにな」
「デモ隊は3つほどの集団に分かれて、埠頭に詰め寄ろうとしていると……報告が」
「……まずった、市警にカネつかませてポリを呼んどくべきだったか――」
今さら、どうしようも無い後悔を歯で噛みながら、俺は進む……。

このクソ重いホルスターを持ってきたことについても、俺が後悔しだしたとき、
「カポ、あちらです」
港を取り巻く人々の輪が途切れたあたり、市と港の役人と警備員がロープを張って、警備線を作っているのが見えた。役人たちは、イブにこんな極寒に駆り出された不幸にウンザリしたツラで、警棒を振り回して前に出ようとする人々を押し返していた。
その運の悪い連中の向こう……。
「出やがったな、2万トンのデカっ尻娘が」
視界の中、否応のない存在感で存在する黒と青の巨大な船体――埠頭にガッチリ船腹を寄せた、あの2万トンタンカー『コーラル・ベイ』の姿があった。
そのタンカーの煙突からは、黒い狼煙のような排煙が立ち上っていた。
……埠頭から引っ剥がしたら、船自体がバックして埠頭を離れる手はず、なのだが……。
そして俺の目は、さらに、タンカーに寄り添う小さなヒーロたちを見付ける。
「アレが、ルキーノが呼び寄せた造船所のタグか?」
「はい、なんとか間に合ったようです。ボストンの特型タグボート、ジョーボーン1号から4号までです。すでにワイヤの接続を終え、いつでも牽引可能です」
部下が、何枚もの書類が刺さったボードを見ながら報告する。
タンカーの周囲には、ここからでは2隻しか見えないが――普通のものと比べると桁違いに大きく、まるでアパートが海に浮いているかのような背丈のタグが真っ白な排煙をたなびかせながら待機していた。
「さっすがルキーノ。間に合わせてくれたか……」
俺は、もうこの時点でガッツポーズを取りたい気分になっていた。コートは着ていても容赦なく身体を突き刺す凍った海風の中――ハラの奥で、ボウッ、と音がする。
「――さあて。……勝負」
俺は、タンカーの方に指で狙いをつけて、撃つ。
そのタンカーの巨体に、埋もれて隠れそうな小さな、影。そして人影が――動いた。
「オルトラーニ幹部の部隊です」
「おお。あのワゴンか」
最初、ウチに白いワゴンなんてあったかしらん?と思った。
真っ黒な無線機搭載ワゴンは、昨夜からここで待機していたおかげで――アラスカに住んでるエスキモーの氷の家みたいな光景になっていた。
「……カポ、デル・モンテ! お、おはようございます……!」
そして、これもエスキモーかパイロットみたいに防寒具を着込んだ兵隊が(最初誰かわからなかった)、唇を紫色にしたジョバンニが俺に敬礼した。
「ご、ご苦労。無線機の調子は?」
「は、はい。真空管はずっと温めてありますので、いつでも通話可能です」
歯をガチガチならして報告する彼の肩を俺は叩き(……表面が凍ってた)、
「よくやった。えっと、無線を繋ぐ相手は――ジュリオの船、だったな」
「はい、先ほどボンドーネ幹部の乗艦と無線を繋ぎました。すぐに、お使いになりますか」
「ああ。ジュリオの船は――どこ、どれだ? 到着してるのか?」
「はい、あちらの艦が……」
「――……」
さっきから、フネ、のイントネーションがなんかかみ合っていない。
俺は、低く垂れこめた鉛色の空と、インクのようにどす黒い海面のあいだに浮かんでいる、様々の大きさの貨物船を、見…………。数十隻、待機している……どれだ?
「どれだ? 似たようなフネばっか――…………まさか」
まさか――俺の目が、その船団の中に浮かぶ、ひときわ大きな、鋭いシルエットを見……。
「はい。ボンドーネ幹部の乗艦『アルミランテ・ブラウン 』です」
「……。……!? 軍艦じゃねーか!!??」
薄汚れて見える黒っぽい貨物船の中、シャープな、白い船影のそのフネは――
「な、なんで。軍艦が……」
ぽかんと、マヌケのマネしかできないでいる俺に、ワゴンの扉を開けた別のエスキモーが報告する。
「カポ、ボンドーネ幹部から無線通話です!」
「お、おう」
生返事をした俺に、長いコードの付いた受話器が差し出される。俺は、もう海風に凍えて痛くなりだしている手、でそれをつかみ、もっと痛くなってる耳に……。
『――おはようございます、ジャンさん』
「うお。ジュリオ……?」
ジュリオのいつもどおりの声が受話器から流れる。
「おまえ、フネ乗り換えたって……軍艦だったのかよ!?」
『――あ……す、すみません、言い遅れました……』
「い、いや。いいんだが。……なんで、軍艦……まさかそれ、アメリカ海軍の、か?」
『――いえ。アルゼンチン海軍の新型重巡洋艦『アルミランテ・ブラウン』です。排水量8200トン、最大速度32ノットの最新鋭艦です。これなら……』
「すげえ……!」
俺は、ガタガタ歯が鳴り出した口でガキのように漏らし、波頭がちぎれ飛ぶ黒い海面で、微動すらせずに停泊しているその軍艦に目が釘付けになる。
「やべえ、かっこいいなおい!! アルゼンチンも未来に生きてんな!! すげえ!!」
『――訓練航海の途中、民間船の座礁を救出するために駆けつけた……形を取ります。それに、こいつは軍艦ですので……』
「で?」
『――ベルナルドが苦慮していた、港湾船舶法の管轄外、です。民間船を牽引しても、違法になりません』
「……!! でかした! 最高だぞ、ジュリオ!!」
俺ははしゃいで――そして、冷たい海風で肺と頭を冷やし……。
「……で、ジュリオ。なじょして、遠い南米アルゼンチンの巡洋艦が、デイバンに?」
『――はい、バージニア沖で、NYに向けて訓練航行中だったこの艦を発見しました』
「ア、ソウ。……乗せて、っていって乗せてくれるのか軍艦は……?」
『――アルゼンチン政府は先年、大恐慌の余波で経済破綻、しました。現在は米国系の企業がいくつか、資金融資に入ってます……ボンドーネ家も、去年のうちに――』
「そういうことか。よくやった、ジュリオ。金権政治と汚職に乾杯!だ」
『――ありがとうございます。……あと10分ほどで、タンカーの船尾と、こちらの重巡をワイヤーで連結、牽引の準備を終えさせます』
その言葉に、真っ黒な海に浮かぶ軍艦に目を細めると――ちっぽけなカッターが何隻も走り、タンカーと、重巡洋艦両方のクレーンが上下していた。ここからだと釣り糸くらいにしか見えないが、おそらくいまごろ、とんでもなく太いワイヤーが二つの巨船を連結している……はずだった。
「オーケー、ジュリオ。ときに……。その艦は、お前の……こちらの命令で動くのか?」
『――問題、ありません。今俺は、艦首で……ブリッジで、ジャンさんを見ながらこの通話をしてます。10時ジャスト、合図があったらすぐに作戦を始められます』
あそこから俺が見えるのか? ……そうか、ジュリオだった。
「パーフェクトだジュリオ。……っと、今――」
俺は、風にさらされ色が薄く、痛みが痺れに変わってきた手で袖をまくり、腕時計を見る。……30……いや、あと数分で9時40分。あと20分で……。
「よっしゃ。最終確認だ――」
『――はい、ジャンさん』
俺は、部下がよこしてくれた野球のミットみたいな手袋を片方づつ付けながら、
「作戦名『アンドロメダ』は本日―12月24日、午前10時をもって発動、開始する。特殊タグ4隻で、目標である『コーラル・ベイ』を船尾、5時方向に牽引開始――ジュリオの乗艦は、30秒遅れで船尾6時方向に牽引を開始。……離礁しない場合は、船体損傷の危険があるため3分後に牽引を停止――いいか?」
『――了解です。電報でベルナルドからうけた指示のとおりです』
「オーケー。……3分間で、勝負をつけよう。――あとで、陸で会おうぜジュリオ」
『――はい……。ありがとう、ございます、ジャンさん』
「そちらの用意ができたら、また連絡を――」
俺が受話器をいったん、兵隊に返すと、
「カポ、こちらを」
ジョバンニが、ごっついピストルのようなシロモノを俺に差し出した。
「信号拳銃です。信号弾は白と、赤が1発づつ装填されています」
俺はそいつを受け取り、銃身が二本あって、そこにテープでカラフルな紅白の薬莢が固定されていた。俺は、大きさの割には軽いそいつをコートのポケットに入れた。
「オッケ。こいつで合図をするのか」
「はい、10時ジャストに、問題が発生していなかったら白を打ち上げてください。もし……緊急事態が発生し、作戦を停止する場合には赤を、お願いいたします。それに重巡アルミランテ・ブラウン からの同色信号弾発射で、作戦開始です」
「わかった。……今、時間は……」
苦労して袖をまくり、腕時計を見る。……40分を過ぎた。
「……寒い、っていうか痛え……」
俺は、海風で冷え切った顔と耳を手袋でこすり、その場で足踏みして……時間を、待つ。
その俺の耳に、ビョウ、とうなる風の音が、そして……。
「……ん? なんか、向こうの埠頭が騒がしいな、なんぞ?」
「どうやら……デモ隊が、港の警備員ともみ合っているようです――」
「めんどくせえ……。クソが、タンカー動くと、困る連中か」
「第一埠頭に侵入させないよう、グレゴレッティ隊を移動させておきます」
連絡役の兵隊が、野次馬たちが列をなす警備線の方に走ってゆく。それと同時に、海から吹いてくる氷のような風に、大粒の雪が混じり始めた。
「くそ、また降って……。時間……ああ、くそ見づれえ」
……50分。ジュリオの軍艦から、ワイヤー連結の報告がそろそろ……。
俺は、バシバシぶつかってくる雪の中、目を細めて湾に浮かぶ船を――見……?
「な……?? おい、あれ」
「は、はい?」
俺が指を差した方向――いや、ミットみたいな手袋で差したほう――あのタンカーが乗り上げ、崩壊させた巨大なコンテナがガケ崩れをおこした……雪をかぶり、岩山のような姿になった鋼鉄の……あたり。
「なんか、今動いた。誰か居るぞ?? ……ウチの兵隊か?」
「い、いえ、崩落や爆発の危険があるので、この先には誰もいれておりません……!?」
ジョバンニは、氷がへばりついた眼鏡をこすり、顔をこわばらせながら首を振る。
だが……間違いない、さっき、コンテナの影を素早い影のような――――
「……マジか――……おい、この警備線を、埠頭を封鎖したのはいつだ!?」
「は、はい、今朝の6時、日の出の前に封鎖を……。……なに、か……」
ジョバンニが、警備線を双眼鏡で見たとき、
「カポ、ボンドーネ幹部からです、ワイヤーの接続、完了です!」
「オーケイ。あと……10、いや、5、6分くらい――」
ああ、めんどくさい。俺が、部下に外してもらった腕時計をコートの腕ボタンにつけさせて、いつでも見れるように……その俺の耳に、

WA-A-A-A-A-A-A-A-A-A-A-A-H!!

「な!?」
野球スタンドで、ホームランが――いや、乱闘が起こったときのそれと同じ、凶暴な歓声が、獣のような野郎どもの怒声が膨れ上がっていた。
「で、デモ隊が!?」
ジョバンニが氷がへばりついて用をなさない眼鏡をかなぐり捨て、警備線の方に目を向け、叫ぶ。さっきまで、ロープが張られ、やる気のない警備員がまばらに立って野次馬をせき止めていたところに――この、第一埠頭への入り口に、
「ウラアアア!! ぶっつぶせ!!」
「マフィアは社会の敵だ!! イタリア野郎の横暴を許すな!!」
「犯罪者をこれ以上のさばらせるな!! 労働者諸君、戦え!!」
汚え雪崩――薄汚れた上着や作業着姿、まばらに混じるコート姿、ものすごい数の野郎どもの群れが、暴徒が、しごく真っ当なスローガンを叫びながら……。
「く、来るぞ!! カポをお守りしろ!!」
「くそ、警備はいったい何を……」
暴徒は、獣のような叫び声をあげながら第一埠頭へと押し寄せてきていた。
俺は、その数に気圧され、後ずさってしまい……。
「ファック、あちらさんも勝負時か……! く……――あ!!??」
後ずさり、背後を見た俺の目に――
「……!! あの野郎!!!!」
――崩壊したコンテナの影を、今度はひょこひょこと進み、そして消えた、この距離でもハッキリわかるほど背の高い異形を、あの男の姿を、俺の目が捉えていた。
――バクシーの野郎だった。
「く、どうなって……くそ!!」
ジョバンニともう一人の部下が、俺の楯になってワゴン車の陰に押しこむ。そのときに袖がめくれて一瞬見えたジョバンニのロレックスの針――9時55分ちょい、だった。
「ファンクーロ……!! クソ、次から次へと……!!」
押し寄せる野郎どもの顔が見えるくらい、デモ隊は埠頭に距離を詰めてきていた。
「マフィアどもを海に叩き込め!! 労働者を守れ!!」
いかにも正しいスローガンで、デモを通り越して暴徒とかした連中を先導している、コート姿の男たちが見えていた。
このままだと――10時を前に、俺たちは連中に踏み潰されるか、凍った海に追い落とされるか……そのどちらか、どちらにしても人生アウトのコースしか残っていない。
だが……どうせなら――!
「く……! やばい、仕方ねえ――」
俺は、ポケットの信号拳銃を引っ張り出し、白いベルトの付いている薬莢を鉄パイプの銃身に押しこみ、撃発のハンマーを上げた。
――どうしても駄目なら、最後にこいつをぶっぱなしてあとは……運まかせせだった。
もう、ワゴン車にへばりついているのも危険だった。俺とジョバンニの隊は、無線車両を捨てて埠頭の方へ下がってゆく。その間も、俺はコンテナの方へ目を――その俺たちを追い詰める暴徒の群れから、
「……いたぞ、墓掘り野郎だ!! コンテナに隠れてる……!!」
――な?? さっきのスローガンの声、そして……スローガンとはまったく関係ない、だが、間違えようのない罵声が響いて、コート姿の男たちが動いていた。
「……まさか――あ、あんの野郎……!? 何をいったい……」
ジョバンニたちが、手袋を捨てて拳銃を取り出すが――たとえこれがマシンガンでも、あの暴徒相手には火力も弾丸も足りない。
「カポ、タンカーの方へ……! ここは、俺たちが……!!」
「……クソ……!! 無理だ、お前らも逃げ――」
俺が、拳銃を持ってこなかったことを後悔し……そして、そのときになってようやく、さっきから肩に食い込んでいる軍用バッグの重さに、気づく。
だが……あんな大砲でも、この数の突進は…………。

――めくっていくカードが全部、ブタ。
――頼れる幹部は、はるか彼方、アンド、海の上。
――目の前には我を忘れた暴徒、背後には凍った海、そしてキチガイ野郎のおまけ付き。

俺が、グローブを捨てて信号拳銃の引き金に指を――それと同時に…………。
「……ダラァ…………――――――アアア!! ど!!っせえええいい……!!」
「う、うわ!?」
暴徒の叫びをつんざいて、人間のそれではないような咆哮がデイバン港の空気をつんざいた。ビクっとした俺と、ジョバンニの目に、同じように止まってしまったデモ隊の先頭が、グラっと揺れるのが――そして、車に跳ね飛ばされたように数人の男が吹っ飛ばされて海にたたき落とされるのが……?? 映った。
「……なん――だ!?」
デモ隊が、真っ二つに割られていた。その裂け目から、異形の集団が――コートも上着もかなぐり捨てた屈強な男たちの一団が――突進し、そして見事なタイミングで横隊に組みかわり、グルッと反転した。
「……!! グレゴレッティ隊です!! ……遅いよ、ばかぁ!」
ジョバンニが報告し……同時に、真っ白なシャツが居並ぶ中、中央の赤毛が叫ぶ。
「カポ!! ご無事で……!! ――ここは俺たちが!!」
「おお……!! ブタかと思ったらワンペアか……?」
カンパネッラと、ルキーノの部下たちだった。10人に満たない、丸腰の彼らは――だが、あのマッチョどもは自分の肉体だけで、いや、何か俺の知らないスキルで、押し寄せてくる暴徒たちを真っ向から受け止めようとしていた。
「ダラアアア!! ジョージタウン大最強のセカンダリーなめんなあああワスプが!! 野郎ども!! 押しまくれ! つぶせえええ!!」
「サ――ー!! ラッ!サ――ー!!」
思わず耳を抑えるほどの、どこから声を出してるのかと思うほどの咆哮がカンパネッラの部隊から轟き――信じがたいことに、数十倍の数の暴徒を肉体だけで押し返していた。
相手の群れを、混乱した敵陣を、敵の身体すらも楯にして白いラインが、押す。
「ひとりも漏らすな! 走らせるな!!」
「野郎ども! 下がるくらいなら死ね! 神はただ、このラインを守る事だけを喜ぶ!」
「イエッ!! サ――ー!!」
アメリカンフットボールの試合でも、ここまで強烈なのは見たことがなかった。
「……すげー、ジョックスすげー」
「か、カポ……! 今のうちに、向こうへ!! ここは食い止めます!!」
「お……おう」
バクシーの存在に気づいていないジョバンニが、必死の形相で叫び――俺は、暴徒と、そして崩壊したコンテナと倉庫を――見、そして走った。
「すまん!!」
俺は、吹きだまった雪が溜まっている埠頭の方へ、走った。凍った雪に足を取られ、よろめきながら……。
「くそ……!! あのキチガイ、ここでなにを……!?」
俺は、落っこちそうになったバッグを抱え、冷えて感覚がなくなった手に信号拳銃をつかんだまま――凍った雪を踏み抜き、崩れた倉庫へと走った。



□09:56 am December 24

「く……! くは、はぁ……! くそ……」
情けない。距離にして100メートル少しなのに、雪の行軍をさせられた俺は、完全に息が上がって……それでも、住宅くらいある大きさのコンテナに、ようやくへばりつく。
「は、はあ……はあ……! く……あの野郎、どこに――」
崩れたコンテナのいくつかは、ばっくりと裂け目を開き、そこからベルナルドの言っていた赤錆のくず鉄を内臓のようにはみ出させていた。下敷きになった倉庫は、崩れたコンテナと壁のようなタンカーの船腹の間で雪に埋もれている。
俺は、崩壊したコンテナの隙間を這うようにして――先へと、ジュリオの乗る軍艦の見える位置まで、もがき進む。
その俺の耳、そしてはっとして振り返った目に、
「く!? クソ、きたか……!!」
俺の足あとが雪の残る埠頭に、まばらに黒い影が進んできていた。
カンパネッラの隊列は、崩れてこそいなかったが――白いシャツ姿は、数倍の暴徒たちを相手にぶん殴りあいの乱戦に巻き込まれ……ジョバンニ隊はかわいそうに、暴徒たちの中に見えなくなってしまっていた。
「……ボーナス出すから死ぬなよ……!! くそ……!」
乱闘から抜け出し、こちらに走ってくるのは――コートや、革のジャンパーを着た一見カタギに見える男たち――だが、その手のピストルやマシンガンを隠そうともしていない、ギャングどもだった。
「……こっちだ!! 墓掘りバクシーをぶっ殺せ!!」
「さっき逃げたやつはマフィアだ!! あいつもぶっ殺せ!!」
そいつらのボス風の男が、雪に足を取られている男たちに叫ぶ。
「……くそ、あのイカレ野郎のお相手かよ! ……あの野郎、デイバンでなにしやがった」
俺は、迷路のようなコンテナの崩壊の隙間を、進み、ギャングから逃げ――
「……? と……ここが――」
パッと、急に視界がひらけた。
コンテナの崩壊をくぐりぬけた、向こう――雪と暗い空にそびえる、怪物か巨人のようなガントリークレーンと、真っ黒な海。そして白い巡洋艦の船影が、奇妙な形のタグボートが。
それらの姿が、いっせいに俺の目に飛び込んできて――俺は、数秒、固まってしまう。
アタマが、その映像の処理を終え……そして、別の違和感を目が報告する。
「……なんだ……?」
ビルを横倒しにしたような、埠頭――巨大なタンカーが行儀悪く肘掛けにしている、そのコンクリートのテーブル――俺が立つ、第一埠頭の一角に、数メートルにわたって雪が積もっていない溝が、あった。
雪かきされたそこには、埠頭の岩肌が……鉄筋が露出した、コンクリの継ぎ目と、そこに突き刺さった暗い赤色の筒が何本も、みえていた。
「まさか……」
その筒は、お互いが黒いコードで繋がれ、一本にまとまったコードは伸びて――それを追った、俺の目に、
「……!! ッ、バクシー、っ!? てめえ!!」
――崩れて、傾いだコンテナの上に……いた。
獣のように背中を丸め、何かの装置を抱えたあのイカレ野郎が、真っ黒なコートを着、頭にボロ布を巻きつけ海風になびかせているあの野郎の姿が、あった。
「――ん? おう、おめえか。遅かったじゃねえか」
あの野獣は、体中に氷雪をこびりつかせたまま――だが、けちょんと俺に言った。
「な……見えてたのかよ!? だったらわかんだろ、ギャングどもが来る!!」
「そっちは思ったより早えな。まあいいや――おい、そこにいるとミンチになるぜえ」
「な……。……げ!! ダイナマイトかよこれ!?」
あのイカレ野郎が、めんどうくさそうにアゴをしゃくり、手を振る。
「このキチガイ! こんなところで発破してどうする気だよ!? そのタンカーの中に詰まってんのはキャンデーじゃねえぞ!!」
俺は半ばパニックに、ダイナマイトの赤い被覆が、火のついた導火線のような気がして、あわてて崩れたコンテナにへばりつき、よじ登る。はみ出した鉄くずにつかまり、コートが破れ、あのバッグを落としそうになりながら――
「だ……ダイナマイトって、正気かよ!?」
俺は、凍りついた鉄板から滑り落ちそうになりながらもコンテナを登り切り、傾いだ巨大なサイコロの片側に倒れこむ。
その俺に――コンテナの谷間の向こうで、ダイナマイトの点火装置を持ったバクシーが
「キチガイ気違いって言ってんのはてめーらだろが。まあいいや――おう、あとどれくらいで曳航をおっぱじめるんだ?」
「な……。っ、う……そうか――あと……」
俺は、袖のボタンで揺れていた時計を見る。長い方の針は、もうほとんど12の数字にくっつきそうになっていた。
「あと1分ちょい……まさかお前……タンカーを動かすために、ここに!?」
「マスかきに来るにはサブすぎんだろがよう、ここは。――おっし、あの戦艦がタンカー引っ張ったら、こいつで……」
バクシーが、ケーブルを挿し込まれた鉄の箱を俺に見せ……。
「――おっと」
バクシーが、瞬時にコンテナにへばりつく。同時に、
「わ、うわッ!?」
やけに軽く、乾いた銃声――それが海風を震わせるのと同時に、俺と、そしてバクシーがへばりついていたコンテナに錆色の火花が、跳弾が跳ね回った。
「……いたぞ、あそこだ!!」
「回り込め! 今日こそあいつをぶっ殺して、アルベルトのカタキを……!!」
ギャングどもが、コンテナの谷間に潜り込んできていた。その手のピストルが、マシンガンが、凶暴なオレンジ色をはためかせ、めちゃくちゃに撃ってきていた。
「く、くそ……!!」
俺は、コンテナにへばりつき、滑りながら逃げ……頭上をかすめる弾丸に首をすくめる。
「……ハッハァ! しつけえギャングどもだぜ!!」
バクシーは、その鉤爪じみた手には不似合いな拳銃を構え、ギャングたちに撃ち返す。
コンテナの合間を進むギャングたちが、その射撃でサッと鉄塊の影に隠れ――また撃ち返しながら、じわじわと進む。
その銃弾の中、バクシーが吠えた。
「おう、ラッキードッグ!! まだフネは引っ張らねえのか!?」
「く……わかってる!! ――おし……!!」
俺は、12に重なる針を見……。


□09:59 am December 24

――ポケットに手を突っ込み、感覚のない手で信号拳銃の固さを引っつかむ。
「よし……勝負――」
俺が、両手の指を信号拳銃の引き金にかけ、鉛色の空を……。
その俺の目の前に、
「ここかぁ!! クソったれえ!!」
「う……ッ!?」
ガッと、革手袋の手がコンテナの向こうから現れ――マシンガンを持ったギャングの凶悪なツラが、姿が俺の前に……銃口が、俺にガンを飛ばし――俺は、引き金をひいた。
「ギャ!! ――……ぎゃあああ!!」
空ではなく、そのギャングの土手っ腹に突き刺さった信号弾は、リンの燃える悪臭と白い閃光をまき散らしながら――ギャングと共にコンテナの向こうに転げ落ち、
「しまった……!」
コンテナの裏側で、ゾッとする絶叫とともに白い閃光が弾け……消えてしまう。
こわばった俺の目に…………信号拳銃に巻きつけられた、赤い弾が……写る。
「ぐ……!! ワンペア切っちまった…………クソがあああ!!」
俺は振り返り――背後の、雪のカーテンの向こうに見える軍艦の影に――
「全部ドローだ、クソが!!」
バチン!と跳弾が火花を散らす中――俺は、肺の空気を全部搾り出して――叫ぶ。
聞こえるはずがない、届くはずのない――勝負にもならない、ステバチ。
「……ジュリオオオ!! ……頼む!!」
――突風と、銃声にかき消される声で、叫んだ。
「ぐ……!」
チィン!とはねた弾丸が俺の耳元をかすめ、ぶん殴られたような衝撃でよろめいた俺の目に――――

Bo……!!  PAM!!

「…………!!」
軍艦の甲板から、うっすらと白い軌跡が空に伸び――白い閃光を放った。
「……!! ……くぅ! ボブテイルきたあああ!!」
俺は、錆鉄の中に転げながら――歯を剥き出し、銃弾の飛び交う中で叫んだ。
さすがジュリオだ。CR:5の、俺の……最強カードは、守護天使はダテじゃねえ!
俺の絶叫が消えると同時に、タグボートの船尾から滝壺のようなしぶきが立ち上り――タンカーとの間に、ずぶといワイヤーがバン!と氷の破片を撒き散らし、張り詰めた。
「オ、おお!? おっぱじめたかああ!」
コンテナの谷の向こうで、バクシーが叫び――小さな拳銃の弾倉を引きぬく。
「クソァ!! 早く引っ張れえ! もう弾ねえんだ!!」
バクシーがちっぽけなピストルで撃ち返す中、ブオオオ、と風のうなりのような轟音がとどろき、軍艦も動き出す。煙突から真っ黒な煙を吹き上げ――2本のワイヤーを順に、バン!バン!と張り詰めさせる。
「いけ、いけえっ!!」
俺は、コンテナの上で、鉄板に焼かれる虫のようにもがきながら――軍艦と、いさましいチビのタグボートに顔を――そして、真っ黒なタンカーに、凍りつきそうな目を向ける。
「くそ……!! そろそろお勘定だぜ、このデブ!!」
タンカーは、微動だにしていなかった。
タグボートは巨大なスクリューが散らす波濤をかきたて、白い噴煙をあげ――ジュリオの乗った軍艦は、ワイヤーをバリバリ軋ませながら震え――俺は、その轟音、銃声の中、やけくそで叫んだ。
「おい、イカレ野郎!! いまだ、発破――」
だが俺の声に、
「――だああああ!! チンカスチーズ野郎おお! クソ、ケーブルが切れたぁ!!」
「な…………」
コンテナの影で、バクシーがケーブルのつながった箱を、そのスイッチを何度も叩き吐き捨てていた。……ダイナマイトの、電線が――たぶん、銃弾か、ギャングどもの靴か――もしかして俺が……絶ち切ってしまっていた。
「くそ、くそ……ボブテイルかと思ったら6と9を間違えた……」
俺は、この極寒の中でも汗が吹き出してきた顔で、時計を――1分30秒経過……。
たしか、3分後に牽引を停止、と――あのジョバンニの声が、耳の奥で再生される。
真っ暗になっていきそうな俺のアタマ、耳に、バクシーの声が――いつの間にか、俺の背後のコンテナに飛び移っていたバクシーが低く、うめいていた。
「クソァ、弾まで切れた!! あとは水道が止まったらジ、エンドだぜ!!」
バクシーが拳銃を投げ捨てると、その巨体を隠したコンテナの周囲に跳弾が火花を照らし、あの野獣のターバンから、バッとちぎれた布が飛んだ。
「ぐあ……!!」
「お、おい……!! く……そ……、このキチガイが道連れかよ、最悪――」
そのとき…………俺の脇で、背中で――何かが、ゴトっと音を……たてた。
その音は――どんな鐘の音よりも、パイプオルガンよりも気高い福音だった。
「……!! あ、あ……! く……」
俺はもがいて、身体の下敷きになっていたバッグを引きずり出す。
――俺は、二度と自分の直感を、なんとなく~な気分を疑わない、と誓い、
「ッ!! バクシ――ーっ!!」
俺に、名前を叫ばれ――こめかみから鮮血を流していたイカレ野郎が、バクシーが、
「――!?」
カッと、目を見開いて俺を見た。俺は、バッグからクソ重いホルスターを――
「……もういっちょ、勝負ッ!!」
――ハンマー投げのように、バクシーの方にぶん投げた。
距離、5メートル、いや、もっと……。
バランスを崩して、ぶっ倒れた俺はコンテナを転げ落ち――あのバッグがくず鉄に引っかかって、ぐわんとひっくり返った俺の目に、
「ヒーッ、ャッハアアアッ!!」
怪鳥の叫びのようなバクシーの叫びが、あのクソでかいショットガンを両手に持ったバクシーの姿が、塔のような長身と狂笑が――
「げ……! う、うわあ……!」
遠く、ギャングたちの声――それを引き裂く、絶叫が爆発した。
「てめえらのチンポは何色だァアアア――ーッ!!」
爆発――俺の脳みそと脊髄が、ギクッと恐怖に固まる、あの――10番口径の銃声。
咆哮するタグと巡洋艦の轟音すらかき消す、破裂音。
コンテナに隠れていたギャングたちが、引き裂かれた鉄板ごと吹き飛ばされ、埠頭と黒い海面に真っ赤なしぶきと絶叫を散らして転げ落ちる。
「ハハァッハアアア――ーッ!! 気が利くじゃねえか、このワンワンはよォ!!」
狂ったような絶叫、狂笑で喉をのけぞらせながら笑うバクシーに、
「うる、せえ……!! ……く、くそ…………」
気づくと、どこかにぶつけた俺の頭からも血が滴り落ちていた。流れた血が、いつの間にか片目をふさぎ……かすれる目で、俺はタンカーを、ワイヤーを、時計を――
「ぐ……! 2分…………くそ……」
もう、秒針の残りは30秒を切ろうとしていた。そして、軍艦とタンカーの船尾を繋ぐワイヤーは、素人目に見ても――危険なほどに伸びきり、ビリビリ震えていた。
「くそ……両面待ち、ボブテイルで……アウトか――」
俺が、汚れた雪に滴る血に、目を落とし……。
その瞬間、
「……!? ひ、ひあ!?」
グウン!と身体が跳ね上がり――乗ってる車が衝突したような衝撃に、俺の口からヘンな悲鳴が漏れてしまっていた。そして……着地の、重い衝撃。
「な……な、な――なあああ!?」
いつの間に……!?
俺は、俺の身体は――さっきとは全然違う角度のコンテナが並ぶその一角に、片側にあのタンカーの横っ腹がそびえ立つ位置まで、運ばれ――
「げ、この……!!」
俺は、子供みたいに…………バクシーの片腕で抱き抱えられて……いた。
「こ、この……!! なにしやがる、離……!!」
だが、バクシーは――血がこびりついた獣じみた顔、吊り上がった狂笑の口で、その歯で、ずぶとい葉巻のような散弾の薬莢を咥え――ガション!と折れた散弾銃に、べっとはき出した薬莢を突き刺して、また閉じる。
「お、おい、いったい――」
「あそこにいると、テメエまでミンチだ。おう、ちょっとオコボレたのむぜえ……!」
バクシーの腕が伸び――散弾銃が、埠頭の一角を、ダイナマイトの赤も見えないほど遠くのコンクリの裂け目を、狙う。
「……おめえ、ツイてんだろ!! ラッキードッグ!! ちょっと使わせろお!!」
その絶叫と同時に、水平二連の一本が、爆煙と轟音を――巨大なスラッグ弾を吐き出す。
「ぐ……!! ……!?」
だが――コンクリには、バッと白い破片が飛び散っただけで――消える。
「ケッ!! なんだなんだァ!? てめえにツイてんのはしょぼいタマタマだけか!?」
「く……! うるせえ!! 撃て、撃って――根性見せろオォ、イカレ野郎!!」
俺は、作戦時刻の3分へこぼれ落ちてゆく、残りの数秒の中で叫んだ。
「……いけえ! もういっちょ、勝負!! イケえ!!」
ドゴン!と俺のすぐ横で散弾が炸裂し――
「!?」
グラっと、世界が揺れた。
その瞬間、俺の視界は真っ黒になって――バクシーが、俺をコンテナの影に叩きつけ、覆いかぶさった、その空間を、ズン!!ズン!! と、腹に響く衝撃と、きわどい衝撃波が頭上を走っていった。
誘爆したダイナマイトの列が、巨大な埠頭をビリビリと揺らす。
「あったりぃいいい!! ウッソだろおぉ、オイ!? マジか、すげえええ」
「ンだよ、狙って撃ったんじゃねえのか!」
ダイナマイトが噴き上げたコンクリの破片がバチバチと、周囲の鉄板を撃つ中――
「……!!」

Gi……Giiiiii…… Z Z……!!

歯の奥が痛くなるような、高音と低音がぶつかり合う鋼鉄の軋みが――響く。
「う、うわ……? わ、わ……」
首をねじ曲げた俺の目に――そびえ立つ黒い断崖が、黒と青のタンカーの船腹が、塗装の破片を散らしながら震え、ゆっくり滑ってゆくのが――
「……きた――」
空間が引き裂かれてゆくような、巨大な質量の移動。鋼鉄の軋みに、コンクリの潰れる音が、そしてタンカー自体が震える振動が空気を揺さぶり、轟音がすべてを包み込む。
バリバリバリ、と雷鳴のような音を立てながら――ゆっくりと、だが確実にタンカーは真っ黒な海へと滑ってゆき、ビイイイ!とタグボートが汽笛を鳴らすのと同時に、タンカーの船尾がワイヤーのボルトを外した。怒張していたワイヤーがゆるみ、海面にしぶきを上げる――

「……!! ヒャッッハアアア!!」
誰かが、叫んでいた。俺か、バクシーか。あるいはここにいた全員か。

はるかな高み、タンカーの煙突からう黒煙と蒸気が吹き出し、船尾に真っ白な泡が湧き上がる。自力での後退を始めたタンカーは、デイバン湾に滑り出し――同時に動き出した巡洋艦とワイヤーでつながりながら、ゆっくり――海に、帰ってゆく。
「や、った…………ストレイト。フラッシュつきか……?」
俺は、凍りついたコンテナの角で、立ち――
「……やった――は、はは、ははは……!」
がくがく震えだした身体で、息を、ケイレンしているような笑いを漏らす。
「ハハハ……。おい、イカレ野郎。俺も契約を――――……あれ?」
気づくと、俺の横にいたあのイカレ野郎は消えていた。

コンテナを這いずり降りた俺の目に、タンカーが押しつぶし塞いでいたカラの倉庫が、ポッカリと破口を開けているのが――見えた。


□10:15 am December 24

「……カポ……!! カポ、デル・モンテ……!! ご無事で……!?」
よろめき歩く、一団の男たちが――ボロボロ、満身創痍の男たちが、それでも雪を跳ね上げて埠頭を進んできていた。
「……おう。見ろよ、終電逃してごねてたおデブちゃんには、お帰り願ったぜ」
俺は、血で片目がふさがったままの顔で、海を見、ニヤリ笑う。
駆けつけた部下たちは、暴徒とのもみ合いで数が減り、ズタボロになってはいたが――
「お、おケガを……!? すぐに車を……!」
ジョバンニだった。眼鏡が、マンガでやられたヤツみたいに割れていた。
「ハハハ……」
立って、ここまで駆けつけた連中の顔は――もう、死ぬまで忘れないと、思った。
「いや、もう血は止まってら。無線は? 艦と、港湾組合に連絡を……」
「は、はい……!」
白シャツがズタボロになった男が、俺を手助けし、歩かせてくれる。
「悪い……って、おまえか――おいいい、おまえ、その血!?」
髪まで真っ赤になっていて、わからなかったが……そのガタイのいい男は、ルキーノの右腕のカンパネッラだった。
「……すみません、鉄パイプでぶん殴られて――いえ、俺は平気です、でも、チンピラどもをとおしてしまい、ました……申し訳ないです、死にます」
「ああ、このバカ。死ぬのは来世にしろ、その前に病院に行け!」
俺たちは、肩を組むようにして……陸へと、港へと進む。
その俺たちの背後で、

Buaaaaaa!! Baoooooo!! Biiiiiii!! Piwwwwwwwww!!

タンカーが、巡洋艦が、そして湾で待ちぼうけを食らっていた無数の貨物船が、一斉に汽笛を、霧笛を高らかに鳴らし、煙突から煙を噴き上げていた。
「ハハハ、見ろよ。クリスマスに間に合ったぜえ」
「はい……! 奇跡、です……!! やはり、あなたは……」
「信じておりました……ラッキードッグ……」
「もはや、カポ……あなたを言葉では形容できません、至高の、究極の、神が……」
「いいからおまえらは病院に行け。ああ、先に頭のだぞ」
大粒の雪が降り、黒い海面に吸い込まれてゆく中――気の早い貨物船が、順番を待ちわびていた貨物船のいくつかが軌跡を描き始め、ミズスマシのような港湾部のカッターが、サイレンを鳴らしてその間を行き交い始めていた。
「クリスマスまでに、食い物と石炭だけでも揚げられるようにしねえとなあ」
俺たちが、港に、陸の方に進むその先に、沖合の歓声をかき消すような喝采が――人々の群れが揺れていた。
「やったぞおおお!!」
「港が使える!! クリスマスに間に合った!!」
「石炭が買えるよ、もう寒くねえんだ!!」
「神様、神さま……!!」
薄汚れ、雪で濡れて凍えた人々は、野次馬だった人々は――消え失せた警戒線を越え、港で、波止場で抱き合い、手をとりあって歓声を上げていた。
その人々を、待機していた荷揚げの作業員やリフト、役人たちが罵声と笑顔で押しのけ、すべての埠頭と荷上場が再び動き出し、そして止まっていた第一埠頭でガントリークレーンが軋みとエンジンの咆哮を、モーターの唸りを轟かせていた。
「ハハハ、汚れ仕事は終わりだ。あとはカタギさんに任せようぜ」
「はい、車を持ってきます」
ジョバンニが、歓声を上げ、誰かれ構わず抱きしめる人々の間を苦労しながら抜けてゆく。俺は、サムソンのようなカンパネッラは、そして残った部下たちは、お互いを小突き、拳を付き合わせ、この光景を――――
「ん…………??」
――ひとり、多いな。俺が、俺を取り囲む部下たちの数に違和感を、そして……。
「げ!!?? て、てめえ、いつの間……!?」
ヌウっと――電柱のような長身が、いつの間にか俺たちの輪に入り、そして、
「き、きさま!?」
「こ……!! ここにいやが――」
部下たちが、その異形の正体に気づいて、俺を背後に押しのけかばう。
だが……その異形は、バクシーは、けちょんと。
「契約成立だ。やるじゃねえか、イタ公――」
俺たちの前で、蛇のような口をニイッっと歪め、笑って言った。
「ぐ…………」
飛びかかろうとしたカンパネッラは、俺たちは――バクシーが肩がけにしたコートの下で向けている大砲のような銃口に気づいいて、固まり…………。
固まって…………。
「な??」

バクシーのコートの下、そこにある違和感に――全員が、かくんとアゴを開く。

「ニャ」
岩のようなバクシーの腹筋を包んだハラマキ、そこのフチから…………真っ白な綿毛のようなものが、宝石より透き通った青と、金色の目が…………のぞいていた。
「ウ、ニャ……グル……」
魚のパスタを、ティクワを両の前足で抱え、白い牙と赤い口でかじっている白猫が――
「な……?? ねこ……?」
ボケた声しか出せないでいる俺の前で、バクシーは別の手で、その猫くらいあるネズミの死骸をぷらぷらさせていた。
「おうおう、ちくわうめえか。じゃあ、俺は取り替えっこした、この"貴重なタンパク源です"を焼いてくうべえかな」
「お、おまえ、いったい……?」
「ハハハァ、急ぐこたあなかったな。まあいいや――」
奇妙なにらみ合いを続ける、カポ率いるCR:5と仇敵バクシーの間にも、歓声を上げる人々がぞろぞろと紛れ込み、俺たちも押し流されそうになる。
「く、くそっ……! カポ、あいつを……!!」
「まて、ここで撃たれたら……待て、って……!!」
俺は、掴みかかろうとするマッチョたちを押さえ――バクシーを……。
「お、おい!?」
だが、もうそのときには――
「ハハ!! あばよ、マカロニ野郎!! サイコーの誕生日プレゼントだったぜえ!!」
「な……!? どういう意味――」
バッっと、バクシーが跳ね――後方に、エビのように跳ねたバクシーに人々が驚き、どよめく中、あの巨体は信じがたい速度で雑踏をぬって…………。

……消えた。行って、しまった。

「くそ……!! 市民をタテにするとは卑劣なギャングめ!」
「今日のところは見逃してやるぞ……!」
――いや……見逃してもらえたんだろ、と俺は思ったことを口に出さず、
「諸君のおかげで、デイバンは救われ、俺も誇りを守れた――感謝する」
綺麗事を並べて、野郎どもの尻を叩いた。
「さあて、忙しくなるぞ!! クリスマスの始まりだ!!」
「はい、カポ……! ドン・ジャンカルロ!!」
俺は、教会が鐘を鳴らし、花火まで打ち上げられている街へと――
冬の雲が低く垂れこめた――だが、いつの間にか雪が降り止んでいたデイバンの市街へと、野郎どもを連れて進んでいった。


-END-

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